■「モカのリポート」No.2

    20代の“失われた10年”

モカ


『なんだかんだいって』という薄い皮一枚だった。
 〜なぜ、あの頃ボクらはキレなかったか〜
  

 さまざまな感想や意見のメールをいただき、大変参考になっております。そ の中から、いくつか気になった箇所を引用させていただき、テーマにそって発 言していきます。

10代の子供を持つ母親、Fさんより

>でもね、親は子どもの行く末を見届ける責任と義務があるんですよ。単なる
 愛情だけではないんです。

 わたしはこういう意見を目にすると、ではいったい子供をどうしたいのか?  子供のどういう行く末がビジョンとしてあるのか、ということが気になってし まいます。ビジョンなき行く末なんてものに従う気はないし(ならないだろう し)、だとしたらそんな曖昧模糊とした行く末を見届けられるための責任感や 義務感といったものは、女子高生の言葉を借りれば、ウザイ、ということにな るのではないでしょうか。

 もし今、子供が勉強してくれていれば安心、いい大学へ行って、いい会社に 入って、というようなものをビジョンとして描かれているなら、それはもう終 わりではないか、ということです。

 一流大と言われる大学を卒業して企業に勤めるわたしの20代の友人、知人は、 一様に口を揃えて「辞めてーよ」と言います。しかし基本的に、教育も、社会 も、その流れはほとんど変わってないでしょう。もちろん、わたしの友人・知 人に限ったことではなく、日本全体の同世代の問題として捉えることができま す。

 最近のNHKで特集されていたように、ここ数年の動きとして3人に1人が3年以 内に会社を辞めています。96’97’98’あたりに大学を卒業して社会に出た人 達です。これは今の時代を象徴する一つの現象だと思います。かつて大卒の社 会人が、これほどの率で、首でもリストラでもなく、新人のうちに自ら会社を 辞めている、という時代は過去に一度もありません。今の子供たちは、こう いった現状をひしひしと感じてるのだと思います。専門家ではないので、自分 の体験からでしか意見を言えませんが、すでにわたしたちの頃から、勉強ばっ かりしたってしょうがない、2次関数や代数・幾何がいったい実社会に出てなん の役に立つんだ、みたいなことは言うのが恥ずかしいぐらいに分かっていたし 言われていました。新人類といわれる私たちの少し上の世代で盛んだった校内 暴力もなく、偏差値至上主義というわけでもありませんでした。たとえば、塾 に通っている中学生が成績が悪かったときに、おまえは失格だ、と顔に墨で書 き殴られそのまま電車で帰らされる森田塾のような熱血塾もなかったわけです。

 わたしが中学3年の頃だとすると、1988年です。バブル崩壊の一年前。しか しそうはいいつつも、あの頃はなぜ、自分の興味を優先したり、得意分野を徹 底的に追及しそれを特化させたりせずに、基本的に偏差値が最優先という教育 だったのか。問題文を読まずに回答用紙から答えを導き出すようなお勉強に、 1990年代の中学生のようになぜキレるほど憎悪できなかったのか。それは、ど こからともなく聞こえてくるこんな言葉にリアリティがあったからだと思いま す。

「そうはいうけど、日本の社会では、“なんだかんだいって”学歴なのよ」

 つまり、偏差値至上主義ではなかったものの、“なんだかんだいって”とい う“前置き”には非常にリアリティがあったわけです。

 もう誰もが教育は大学に入るためだけの手段であり、食っていくための、つ まり職業の直接的なスキルを得る手段としてはほとんど役に立たないというこ とが分かっていながら。でも、そうと分かっていながら“なんだかんだいっ て”という“前置き”には、なぜリアリティがあったのか。

 それは、バブルの頂点に向って恐いものなしかに見えた日本経済の中核を担っ ていた大人達が、従来の教育システムに従順に従い、自分の興味や得意分野を 特化させることに価値を置かず、偏差値アップを最優先としたお勉強の出来だ けが良かったお父さん達だったからです。

 “なんだかんだいって”そのお父さんたちが、日本経済を支えていたという 幻想があったからです。西暦ルーレットで、たまたま歴史上うまい時期に転が り落ちただけのこと、という発想は当時の中学生にはありませんでした。自分 の親たちが、遺伝子宝くじによって都内近郊の一戸建てを引き当てた、という 歴史のスパンでみた捉え方もありませんでした。いま一戸建てを手に入れると したら、違う方法で教育しない限り、全部雇用・終身雇用を前提とした偏差値 アップの教育では、現実的にほとんど不可能だと言われているわけです。しか し最も肝心なことは、

 従来のシステムの中で、マイホームを建てるということにまつわるあらゆる 幸福概念が、とくに70年生まれ以降の世代には、人生を犠牲にするほどには魅 力を感じられない、ということではないでしょうか。

 しかし、誤解を避けるために補強すると、競争とその見返りの果てに30才で 建てられるマイホームと、ローンの返済をやっと50才になって終えるマイホー ムとでは、まったく幸福へのモチベーションが異なるだろうということです。 幸福へのモチベーションは、労働に関わってくる。すでに幼少の頃から環境と して備えているものを、50才まで耐え忍んで手に入れたいと思うでしょうか。 ※マイホームを建て幸せな家庭を作りたいという願い自体は、まったく非難す るところではありません。

 興味や得意分野を見極めその競争の果てにはそれだけの見返りがある、とい う教育機関や社会が整備されていないのに、勝ち組み・負け組み、という言い 方があるのも疑問です。今の社会を無批判に肯定し、その上にあぐらをかいて る人間が安心感を得たいだけのアンフェアな中傷であるような気がしてなりま せん。定年間近で、負け、と言われた人は一体どういう気持がするのでしょう。

 日本経済が最も豊かで繁栄していた時期が、ちょうど私たちの中学・高校・ 大学という教育期間(1985年〜1995年)とほぼ同時期でした。“偏差値”の 高い人達が難攻不落に見えたバブル経済を支えているかのような背景が、“な んだかんだいって”という“前置き”にリアリティをもたらしていたのでしょ う。

 また少し話がそれますが、ボクらの世代は、“なんだかんだいって”という 前置きがクッションになり偏差値至上主義ではなかったので、落ちこぼれても 壊れるような人はいませんでした。高校時代は、新人類と呼ばれる人達の一部 を指して「オタク」という言葉が流行りましたが、少女誘拐惨殺事件の宮崎勤 (昭和37年生まれ、新潟少女9年間監禁事件の被告も同年)や宅八郎に代表さ れる「オタッキー」あるいは「つとむってる」という呼称は、最大の屈辱的な 言葉として使われていました。

 しかし、侮辱されるべき矛先は、ゆがんだ専門性を備えたオタクばかりでは なく、ある種の専門性を軽視してきた自分達ではなかったか。そこそこ勉強さ えできれば困ることはない、ということに疑いを抱けなかった自分達ではな かっただろうか。

 今にして思うが、落ちこぼれる才能がなかった、だけなのだ。

 経済的繁栄という背景があったということが、“あの頃はなぜキレなかった のか”のもう一つの理由だと思います。先にも述べましたが、バブル経済の絶 頂を挟んだ1985年から1995年のもっとも日本的、経済的に洗練されていたと 思われる10年間に、わたしたちは、中学、高校、大学という教育期間を過ごし ていました。なにか違う、どこかおかしい、と感じつつも、日本経済がもっと も温室肥沃状態のときだったので、家出はおろか、不登校のようにそこから逃 れるというようなことが考えられなかったのです。

 まるでこの繁栄状態が延々と続いていくかのような楽天的な閉塞感(バブル 崩壊後の数年も非常に楽観的)がありました。第一、団塊世代である親たち が、そのときの現実をゆるぎなく謳歌してしまっている。日本バブル経済の最 盛期。自分がリストラされるとは夢にも思っていない。その親たちに反論し、 学校からも友人からも離れてなにか(引き篭りや家出など)をしたとしたら、 気の狂うような孤独感に耐えなければならなかっただろうと思います。

 それが今や、不登校児14万人。もう“なんだかんだいって”という“前置き としてのリアリティ”すら喪失しつつあるのでしょう。

 10年かそこらで時代は恐ろしい速度で変化しているように思えます。わたし から見れば、現在の家出や不登校などができる子供が羨ましいとすら思いま す。たとえバタフライナイフをしのばせていたとしても、自分を見つめる時期 が、それだけ早まったということだからです。ボクら20代は、反抗が延期され たことにより、10代で自分を見つめ直す機会を逃してしまったともいえるで しょう。

 ヤンキーゴーホーム! ではなく、短ランに太いズボンというヤンキーの ファッションが、期間限定で存在しただけです。今どきのサーファー系の高校 生のように、洗練されたファッションに身を包みナイフに象徴されるような本 物の狂気を内包していたわけではなく、なんの疑いもなく格好悪いうえに反抗 という嘘があっただけです。

 10代で反抗期がおとずれる、という保健体育の予備知識がすでにあるといっ たマヌケな状況が手伝ったかどうかは分かりませんが、反抗色を示すことに対 して、「あらあら、マジになるなよ」というようなアイロニーと軽蔑すら抱け る余裕がありました。というより校内暴力などがなくなっている年代なので、 反抗、という概念そのものがなかったのでしょう。

 もちろん暴力を奨励しているわけではなく、反抗期すらも、トップダウン式 に教えられ、しかもそのあり方が何も伝わっていないということのマヌケさ。 その余裕というかノーテンキでいることができた状態というのは、バブル経済 によって何か大事なことが隠蔽され誰も危機意識を抱くことができなかった、 日本社会そのものである、とも言えるでしょう。

 それら楽観的なクールぶった仮面を吹き飛ばすほどの危機的な外部要因にさ らされること、また気づくことができなかった10代というのは、じつは不幸な ことではなかったか。

 ある私の知人の一人(現在36才)は、例の森田塾によって壊された10代を過 ごしたものの、今は海外で心理カウンセラーというやりがいのある仕事を持ち つつ、人生の再曲線を描いている。


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