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■「モカのリポート」No.1
モカ |
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拝啓 朝日新聞、丸山健二様 形式的な文飾は、とりあえず省略します。 さて、朝日新聞(00.1.30)に掲載された作家の丸山健二さんの記事を読みました。 朝日新聞 - いま、日本は「衰退」しているように映る。特に若者だ。- 丸山氏 - 日本人は、身近に生々しい自然を失って生命力が弱くなっている。真の自由につきまとう不安や孤独感が嫌いな「情熱なしの化け物」が、日本をつくる。異常に生命力にあふれた国に、してやられるんじゃないか。それとも、気がつくと鉄砲持っているんじゃないのか。- よく言えますよね、こんなこと。正直そう思いました。 情熱を持っていると言うあなたたちが、この国を作ったのでしょう。真意は分かりますが、説得力をもってこちらの脳に届いてきません。 長野県の山奥のリンゴ園の跡地に定住しながら丸山氏は言う。 「人間関係は互いの祖先までわかるほど濃密で、人間とはなにかを見据えるにも、雑多な人間が集まる反面かかわり方が浅い都会よりも、適している。」 ホントにそうでしょうか。人間とは何か。何度も考えてみましたが、中身は空っぽだと思います。都会に住めば都会の人、田舎に住めば田舎の人、それだけのことじゃないでしょうか。 それに人間関係の深い田舎の方が、人間観察に適しているという視点は、どう考えても安易な反動化としか思えません。 これから先、どういう時代を生きていかなければならないのか、もう御想像がお及びにならないのではないのではないでしょうか。 いま我々は、急速な科学やテクノロジーの進歩における、人類発展の実験期間に割り当てられてるのではないか、などという寂しい可能性を考えたことがあるでしょうか。 というのも、パソコンから卵巣を保護するための鉛エプロンの効果も、プラスティックの容器から流れ出るスチレンポリマーによる染色体異常も、ゴミ焼却施設排ガス中のダイオキシン類発生防止ガイドラインの正否も、「原発事故サバイバルハンドブック」が役に立つかどうかも、正直言って今の段階ではまだ分かっていないというのが本当のところでしょう。 ついでに顔面整形の後遺症も。パソコンも、カップラーメンも誕生してからせいぜい30年かそこらです。 そして、じつに思い当たることがある。この人類の輝かしい未来へという科学とテクノロジーの進歩における副作用にして最大の犠牲者、そこに権力という薬物を注入されてしまったのが例の宗教団体では… 勉強部屋の階下から姉妹の奏でるショパンのBGMが流れ、カップラーメンをすすりながら元素記号を暗記し微分・積分を勉強する。やたらにIQばかり高い人達。 もはや、月面ロケット・アポロ11号の成功と歴史に感動するようなことはない。 その後、歴史はより内証化される。 今、だれもが気分的なことを含めて女優であり、表現者であり、内なる天皇制を抱えて生きている。 天皇制の亡霊は、家族から個人へシフトし、オタクはその典型だろう。 そうでないという人達も、「“今どき美人”はみーんなネコ目。」(「anan」)「いい男、完全後略。ヘアースタイルの豊富なバリエーションの数々」(男性ファッション雑誌「Bidan」)「いまやせるためのもっともスマートな方法」(「FRAU」)などのマーケティングの声に支配され従うことで寂しさを紛らしている。 みんなが、加藤晴彦であり、中村俊介であり、常盤貴子であり、中山美穂であり得る。それ以外は、オタクになるか、結婚制度に甘い幻想を夢見るしかない。ふつうに考える、ということが意外と難しくなってるのと同様に、ふつうに生きる、ということがこれほど難しくなってしまった時代もないだろう。 歴史に手が届きそうで、それでいて大部分は歴史に無視されるという事実に耐えて生きていかなくてはならない。 「恋愛詐欺師」というTVドラマが当たる。女の子は言う。もう嘘でもいい、だれかわたしを迎えに来て。わかった、と白馬の王子様として、迎えに行くこともできない。 たとえどんなに、従来でいうところのいい大学、会社に入ったとしても、決して歴史は手を差し伸べてくれるわけではないし、歴史は実際のところ気にもかけてくれない。 という事実に耐えて生きていかなくてはならない。 25歳で死亡、80歳で密葬、という現実を生きていかなくてはならない。(「それとあのー、御社の福利厚生について簡単にご説明を……」) 毎日の退屈で決りきった安楽な静けさの対価として、否が応でも払わざるを得ない代償なのだ。その寂しさは、あらゆる人生のレクリエーションを不毛にし、あらゆる幸福を不毛にし、あらゆる主動的な行為を無にする重力があり、それに対して憐れみさえかけてもらえない。 というようなことをお考えになったことがあるでしょうか。 何もない家に(父親だけ)、カラーテレビが登場し、クーラーが設置され、クルマが使えるようになったときには、さぞ幸福感−歴史に関わっているという喜び−が大きかったことでしょう。 しかし我々は、デジタルカメラやビデオのわずかな画素数のレベルアップで幸福感を捻出しなければならない。−などと言うと、その筋(宗教関係)の方々からお声がかかりそうですが、真理とか真実とか興味がありません。 どうかお気遣いなく。−しかしここまで長々と述べてきて、喪失感を訴えたいわけではありません。 物質的な恩恵は計り知れないし、生活を快適にしてくれることは間違いありません。 ただ、それらは生々しい自然や情熱や濃密な人間関係などとは無関係に容易に手に入れられることができます。それを、生きていくためのモチベーションと混同されることは、これから生きていく者として非常に迷惑だし、事実を事実として受け入れることをはぐらかされるような安易な言説が、わたしは嫌いです。 だいたい東京のど真ん中に大自然があるじゃないですか。でも本当のところ、誰も見向きはしないし、関わりあうことでパワーが得られるとは思っていないわけです。 この寂しい時代に、何か新しい価値観の創造なり対処なりを模索するという役割は、新聞にも丸山さんのような作家にも絶望的に難しいと感じました。 あなたのように風や氷原として語れるシュールレアリスムな人が、あと30年若帰って今の時代に放り込まれたとしたら、おそらく10分ともたないでしょう。 単純きわまりないし、勝手にずらされてる気分。 わかりにくいですね。 おい、そこの若い衆(し)って呼びかけられてるような気分。 自殺するぐらいだったらなんでもできるよ、というような嘘にリアリティのある時代に、私は風だ、と言われても別時代の産物としか思えません。 近代リアリズムが安易な擬人法をしりぞけたのは、時代の空気に触れてる者としてそれなりに分かるような気がします。 しかし他人の生き方を糾弾したいわけではありません。 少なくとも、安易なことは言わないでくれ、ほっといてくれ、黙っててくれ、というわけです。 若者は情熱がなければならない? なるほど。 しかし、それは作家の言葉ではなく、俗世とかけ離れた政治家や、一回戦敗退を受け入れている高校野球の監督などが言うセリフではないでしょうか。 そして、作家に対して無批判のままに「若者は、衰退している」と嘆きのポーズをとる朝日新聞様。成熟社会における目的もヴィジョンもなき時代に、情熱があればどうにかなるという曖昧な期待感やムードを容認するような言説はどうかと思います。 曖昧な期待感やムードが全く信用できないということに気づいたとき、池袋で大暴れするような若年層が今後ますます増えていくと思うからです。 誤解のないように記しますが、特定の新聞を責め立てるようなこと自体には全く興味がありません。 新聞や作家が、曖昧な期待感やムードを直接的に撒き散らしているとも思いません。 しかし、−もちろん独断ですが−ピント外れに「いま」が語られること、つまり「いま」が何も語られていない、ということによる害悪は意外と大きいような気がします。 安易な期待感やムード、その幻想が絶たれた場合に犯罪が増える可能性があるという意味において、またそれによって税金の用途が増えるという意味において、数千万部を超えるメディアの時代認識を疑わざるを得ないという意味において、以上で取り上げたような記事は迷惑というより、害悪だということです。 そしてなによりも、「衰退」している「若者」というイージーな認識には、非常に許しがたいものを感じました。 |