Thinking like Singing ―― 自由に法哲学 

小林 和之



Act3 ソドムの街角から


背徳の街ソドム。どこかで名前を聞いたことがあるんじゃないかと思う *1。 ソドミー(異常性愛)の語源になったこの街は、神の怒りにふれて硫黄の火で焼き 滅ぼされたと聖書に記されている。しかし、この街を救おうとした男がいたこ とは、それほど知られていないんじゃないだろうか。
名をアブラハムという。彼はソドムのために神を説得しようとした。
彼は神に言う。あなたは、義(ただ)しい人も悪い人も一緒に滅ぼしてしまわれ るのですか。もし50人の義しい人がソドムにいたらどうでしょうか。彼らのた めにソドムを許してもらえないでしょうか。義しい人と悪い人を同じに扱うべ きではありません。天下を裁く者は公正でなければならないのではないでしょ うか。
神は答える。50人のためにソドムを許そう。
さて、面白いのはアブラハムがここで神との対話をやめないことだ。彼は神を 相手に公正を主張するだけでなく、人数を「値切り」はじめる。この辺は実に 契約文化って感じだ。45人ではどうか。40人では。彼は自分が神の怒りにふれ て焼き滅ぼされることを覚悟しながら交渉を続け、ついに10人まで値切ること に成功する。

でも、ソドムには10人の義人さえいなかったのだ。


さて、法哲学。もちろん、法哲学は悪徳ではない(たぶん)。個人が趣味でやっ ている分には、誰からも非難される筋合いはないだろう(きっと)。だが、他人 の金を使うとなれば話はそれだけですまない。大学で研究をするということは、 国民の税金を使うということだ。独立採算で成り立っている大学はない。

「金のことをとやかくいうのはみっともない」という感覚は、大学に限らず日 本全体に広く見られるものかもしれない。わたし自身、そういうところが大い にある。"人生の問題の97%は金で解決できる"といつか言ったことがあるけれ ど、これには続きがある。"しかし、人生の質を決めるのは残りの3%である"

まあ、金を払う側がとやかくいわないのは立派な話かもしれないけれど、もら う側、いやムリヤリ取り上げる側が納得ずくでやらないなら、強盗と変わらな い。つべこべ言わずに金を出せ!

法哲学は21世紀でもっとも重要な知的領域である。

なんべんも言ってバカみたいだね。わたしは本気でそう思っているけれど、だ から金をもらって当然とは思わない。本人がそう思っているだけで金を取られ るんならたまったもんじゃないだろう。「わたしの祈りが世界を支えているん です」とカルト教団の教祖が主張したら、感謝してお金をはらわなきゃいけな いのかね?

だが、はたして納得してもらえるのだろうか。日本法哲学会を見渡してみると、 とても心細い気分になる。能力をうんぬんする以前に、目が社会のほうを向い ていない。内輪の中にさらに内輪を作り、それどころかまったく独りよがりで、 誰かに興味をもってもらうことなどまるで考えていないようなところがある。 その結果、国民にはまるで知られていないし、それどころか、法学部の中でも ちょっと見放された存在になってしまっている。"法学部内文学部"というよう な言われ方をすることもあるくらいだ。 実学を教える法学部*2 の中で浮世離れした異質な輩。そんなところだろうか。

周囲を気にすることなく、自分を貫く。そういうとちょっとかっこいいかな。 苦難の道をひとり往くならそうかもしれない。でも、どっちかというと、安楽 な暮らしにあぐらをかいて、運動もせず風呂にも入らず、ぶよぶよ太って悪臭 を放ってるのに近い感じだ。もうちょっと人目を気にした方がいいと思うぞ。

今まで他人の目を気にせずに好きなようにできたのは幸いなことだったかもし れない。実際、好きなことを好きなように研究するというのは、研究者にとっ てイチバン大事なことだ。そして、それはひとびとにとっても意味がある。独 創的な研究のためにはそれがとても大事で、独創的な研究が生み出されること はひとびとにとってもいいことだからだ。

ときどき、みんなが珍しい動物を飼っているような気分でいてくれたらい いのになぁと思うよ。なんだかわけがわからないけれど、金にはならないし、 面白いと思うことはほとんどないけれど、動物園の中にちょっとくらい混じっ ていてもいいかな、と思ってもらえれば。

豊かな時代には、それで通用するしれない。お金が十分にあれば、赤字続きの 動物園に税金で補助をしても、"まぁいいか"ですむ。動物園の存在自体が文化 事業で採算を度外視していいと思うなら、自分が見たい動物が中にいることを 知っていれば、ちょっとくらいつまらない動物がいてもいい。

貧しくなっていく時代ではそうもいかない。生活が苦しいときに、よけいなお 金は払いたくない。でも、入園者は減っていく一方だから収入はますます少な くなる。動物園自体をなくしたくないなら、すべきことは明らか。いらない動 物をなくすことだ。誰も見たくないような動物がいても仕方ない。そんな金が あるなら、人気のある動物の数を増やしたほうがいい。

今の大学はそういう感じ。世の中が景気良くない上に、18歳人口がどんどん減 っているもんで、けっこう見通しが暗い。2009年(って、もう10年もないんだ) には、入学志願者数が大学の定員程度になってしまうと予測されている。これ がいわゆる大学全入時代。ゼイタク言わなきゃみんな無試験で大学に入れる?

もちろん、実際には一部の人気大学に受験者が集中するだろうから、定員割れ の大学が続出することになる。大学が倒産する時代がやってくるわけだ。銀行 が倒産する時代よりは少々遅れることになったけれど。

18歳人口減少はすでに専門学校(特にビジネス系)を直撃している。わたしの学 会報告に関連してこんなメールをいただいた。

私の勤める専門学校はこれまで大学に入学しそこなった学生を集めてきまし たが、5年前は500名以上の入学者がいたものの、今はその10分の1以 下です。毎年前年度比50%減というのは墜落していくような感じです。
 職員もどんどんリストラされています。‥‥<中略>‥‥この趨勢が大学に 及ぶのは時間の問題です。大学は小回りのきかない恐竜のようにいちどきに 死滅するのかもしれません。

受験生のいちばん行きたい学校が東大で、定員の何倍かの学生が詰めかける。 「ランク」が下がるほど学生は集まりにくい。学生不足の打撃はまず ビジネス系専門学校を襲っている*3。 学生募集を停止したところも多いという。そして 大学もすでに無事ではない。定員割れはもう大学に及んでいる。教員に対する 陰湿なリストラのウワサが、わたしの耳にまで届いている。

そういう状況の中で、法哲学は生き残ることができるだろうか。国立大学の独 立行政法人化はすでに決定した。そのなかで「不採算部門」としてリストラさ れる危険はかなりある。「実学」である民法や税法などでも、大学が ロースクール*4 になれるかどうかで明暗は大きく分かれそうな情勢だ。ロースクール になれる大学では法哲学もお飾りとして残してもらえるかもしれないのだけれ ど、「負け組」になって生き残りに必死になる大学ではどうだろう。ましてや 法学部以外*5 では? お飾りにするなら「哲学」のほうがいいんじゃない?

見通しは暗い。さすがに、一部にはなんとかしようという動きはあるんだけど、 はっきり言ってお寒い限りなのだ。イチバン問題なのは、自分たちのあり方を ほとんど反省していないこと。状況の変化を嘆いたり、世の「実用志向」に怒 っているだけでは事態は変わらない。

それにしても、「芸のなさ」が情けない。これは法哲学に限った話ではなく、 実用とは関係が薄い学問ぜんたいに言えるのだけれど、「実学だけではなく虚 学も必要」っていうだけじゃ、ただのオウム返し。どんなバカにでもいえるこ とだ。「世の中には科学の力では解明できないことがある」ってしたり顔でうな ずいてみせたら心霊現象の証明がすんだと思うようなもんじゃないか。

それで逃げ込むのが「教育」。法哲学の場合は法学教育ということになるんだ けど、そこでもどう役に立つかは説明できない。基礎法と法学教育に関するシ ンポジウムでこんなことを言った人がいたそうだ。 "物理学も、自然全体を対象とした茫漠とした学問だが、それが原子爆弾を造り出した"*6。

一見役に立たないようなものでも、役に立つことがある、ということが言いた いのだろう。だが、それじゃ法哲学の存在価値は出てこない。物理学が原子爆 弾によってその力を示したのだとしたら、法哲学は何によってその力を示すと いうんだろう。そして、物理学のような自然科学と法哲学では、大きな違いが ある。物理法則は人が知っていようといまいと効力に変わりはないけれど、法 思想やルールは人に知られていない限りなんら力をもたないということだ。社 会に向かって語りかけることをしていない法哲学界がどうして力をもてるとい えるだろう。

法哲学は確かに「金にならない」。でも、それは意味がないということではな い。ここで、役に立たないことにも意味がある、というような一般論に逃げる なら、それは法哲学でなくてもよいことを認めることと同じだ。役に立たない ものは法哲学以外にもいっぱいある。単に教養ならフランス文学のほうがいい んじゃないか。法哲学はひとびとにとって意味がある。世界は法哲学を必要と している。それを正面から語れない者に、法哲学を語る資格はない。

はたして、日本法哲学会に何人の法哲学者がいるだろうか。

そして−−。アブラハムはどうして「義(ただ)しい人」だけを救おうとしなか ったんだろうね。どうしてソドムすべてを救おうとしたんだろうね。

危機こそ好機。ちょっと深刻すぎる危機であまりにも時間が少ないのだけれど。 それでも、法哲学界の沈滞状況を刺激する機会にはできるはずだ。

この危機の中で、人類(ひとびと)と法哲学の危機の中で、はたしてわたしに何 ができるだろうか。そう考えながら、わたしは最初で最後の学会報告に臨んだ。 手に余る問題に首をつっこんでしまった? 確かにそういう感じはある。まず、 「環境問題」は誰の手にも余る問題だ。おそらく、21世紀に破局が訪れること は避けられないだろう。しかし、それは何もできないということではない。

人類の生存をかけた戦いが負け戦だとしても、
負け戦にこそ戦い方がある*7

そして、「環境問題」に関わらずにいることはできない。否応なくわれわれは 問題のただ中にいる。

「法哲学問題(と言っておこう)」は「環境問題」と構造が似ている *8、 のは 日本法哲学会会員*9 にとっての話だけれど。じゃ、それ以外の人間に関係は無 い? いや、大いにある! と言いたいけれどそれはこれから決まる。そして、 「大いにある」ようにできないのなら、法哲学会がつぶれてしまってもいっこ うに構わないと思う。重要なのは法哲学的な考え方で、学会組織じゃないから。 でも、せっかく「法哲学の智恵」の蓄積があるわけだし、そういう 知識を持っている人が集まっているんだから、これを活用しないの もバカげている。

そして、問題は日本法哲学会だけの話ではない。リストラの危機にあるかどう かはともかく、 日本の大学*10 は多かれ少なかれ問題を抱えている。前回、法 哲学は、法学部で最悪の部分かも、って書いたけど、逆に言うと、法哲学ほど でなくても問題はあるってこと。法哲学界をなんとかするということは、大学 をなんとかすることにつながる。それはただ「参考になる」という程度じゃな い。わたしは、法哲学会からスタートして人類の知的世界を席巻するシステム を設計した。まぁ、"夢は大きく"という感じではあるけどね。

大学ってなにするところ?

これについての感覚は、大学の内と外とでぜんぜん違うかもしれない。世間一 般では、「学生が勉強するところ」という答えがまず出て来るんじゃないだろ うか。大学は教育機関。もちろん間違いじゃない。実際、国立大学の教官は 「教育職」として給料をもらっている。じゃ、大学内部の人間は、自分を教育 者と思っているかというと、どうもそうではない。

「彼(女)は教育に熱心」というのは、必ずしも誉めことばにならない。これで は、「研究ができない」と暗に言っているのかもしれない。誉めことばにしよ うとするなら、「教育にも熱心」と言わなきゃいけない。そう、大学教員は、 自分を研究者だと思いたがる傾向がある。講義は、burden(義務、重荷)にすぎ ない、という類のことを言う人は珍しくはないよ*11。

大学は研究機関。こう言ってナルホドと思ってもらえるかしら。特に法学部や 文学部について。これは、科学のイメージとも共通する。科学っていうとき、 哲学や法学を思い浮かべる人はたぶんほとんどいない *12。実際、わたしは、 大学院生時代に塾でアルバイトをしていたとき、経営者(工学部出身)から法学 というのはすでにある知識の暗記だろうと言われたことがある。

これを認識不足と言ってしまうのはカンタンだ。人文科学・社会科学というこ とばはゼンゼン知られていないわけじゃないから。でも、そう思われることに、 人文・社会科学の側に問題はないんだろうか。

わたしは大いにあると思っている。「知的活性度」というか、「アタマの元 気」とでもいうか、そういう部分で、自然科学系にかなり劣っているからだ。 そして、その大きな原因は「客観性」の差だと思う。もうちょっと正確に言う と、「共通理解の成立度」の差かな。正しいのか間違っているのか、実験によって 検証できるかどうかの違いはずいぶん大きい。

前にも書いたけど、法哲学などの人文・社会科学は、現実と理論をつき合わせ て理論を修正していくことができない。確実な基礎のないところに理論を立て ていくわけで、よほど注意していても砂上の楼閣になってしまう。そして、倒 れていてもすぐには分からない。目のある人から見て明らかにぶっ倒れている ような理論でも、本人は気づかなかったり、これで立っているんだ、と言い張 れるところがコワイところだ。

ある領域で何をどう研究するかについても自然科学ではかなりはっきりと定ま っているといっていいだろう。哲学なんて、哲学事典にも「哲学はおびただし い異説の対立を示し、個々の哲学のすべてに通じる特色は、ただ名前だけにす ぎない」って書いてあるくらいだ。てんでバラバラに好き勝手なことやってる。 そういうとほんの少しだけ言いすぎだけれど。

自然科学系に問題がないわけじゃないよ*13。 両者の違いは程度問題だ。でも この程度の差はかなり大きい。どうも、人文・社会科学系は「言ったら言いっ ぱなし」が通用しやすい。研究の評価はとても難しいんだけど、だからといっ て放っておくと質の低い学者がはびこることになる。これは国民にとってだけ でなく、本人にとってもよくない。向上の機会がないということだから。

人文・社会科学研究の向上は、時代の要請だと思う。「環境問題」のような、 社会のあり方に深く根ざした複合的問題は、人文・社会科学、特に法哲学的ア プローチなしではとうてい解決できないだろう。わたしは、22世紀までのこと を考えながら、目前の問題改善に役立つはずの研究評価システム「逆しまのバ ベル(RB)」を設計した。

●「逆しまのバベル(RB)」
研究評価システム「逆しまのバベル(RB)」は、ネットワーク上に構築された ハイパーテキスト・システムを中核としている。こういうとなんだか難しそう かな。暴力的に単純化して言っちゃうと、これは「法哲学掲示板」を作って動 かそうという話なんだ。

メールマガジンを読んでいる人なら、たぶんインターネットの掲示板を見たこ とがあるだろう。最近は、バス乗っ取り事件の犯人が犯行予告を書き込んでい たとかで話題になった。そして、いろんな掲示板を見た人は、掲示板のポリシ ーと集まる人によって、掲示板はまったく別物になることを知っていると思う *14。

そう、大事なのは掲示板自体ではなく、どういうポリシーで動すか、どういう 人を集めるかだ。RBの場合、最初に集める対象は決まっている。日本法哲学 会会員だ。単なる出発点にすぎないのだけれど。わたしが学会で説明したのは、 そのポリシーに関わる部分。しかも、抽象的に理念を語るだけじゃなくて、運 営の「約束事」をRFCとして示した。これは、次のURLで公開している。

http://www.hat.hi-ho.ne.jp/keitoh/rb/rfc.htm

RFC(Request For Comments)の名前は、インターネットに関する「規格集」 *15 から来ている。規格というべきものが「コメントしてください」という名 前で呼ばれているのは、初めて聞いたとき、とてもカッコイイと思った。もち ろんそれだけで選んだんじゃない。RBの理念を表すのにピッタリだからだ。

さて、RBでの評価の基本は自己評価だ。さっきも言ったけど、研究の自由の ためにはそうでなくては困る。そしてちゃんとした人間が自由に研究できるこ とは、ひとびとにとってもいいことなんだ。社会の求めに応えることはとても 大事なのだけれど、何でもハイハイと言いなりになるのでは創造的な研究はで きない。本当に優れた研究は、ひとびとがまだ想像さえできないようなものを 生み出すものだと思う。

でも、それだけじゃ低レベルの研究を排除できないのははっきりしてる。「こ れは優れた研究だ。なぜならわたしがそう思うからだ」でOKなら何も評価し ないのと同じ。研究の意味について本人から「きちんと」説明がされなければ ならない。

そのために、RFCでは、「研究を社会に通じることばで説明する」ことを求 める。「社会に通じる」ってのが大事。外国のエラい学者が言ってますという ような権威に頼ってはダメってこと。専門用語で煙に巻くのはダメってこと。 専門以外の人が読む気が起こらないようじゃダメってこと。「仲間受けのなぁ なぁ」ですまないように、専門以外の人間でも分かるように説明するというこ とはとても大事なことだ。

「研究を社会に通じることばで説明する」ことができない場合はどうすればい いんだろう。高度に専門的で、専門家以外には理解できないような研究には存 在価値がないんだろうか。

実は、これが今回のシステムでいちばん知恵を絞ったところだ。最先端の専門 的な議論が門外漢にはわからない、というのは法哲学に限らない。ただ、自然 科学なら、かなり客観的にその高度さは示せる。ところが、法哲学の場合はな かなかそうはいかない。オタクのひとりよがりと高度に専門的な研究とはどう やって区別すればいいんだろうか。それも、専門家以外でも分かるように。

RBはこの問題も解決する。高度に専門的で、専門家以外には理解できないと 思うなら、自分が話が通じると思う専門家集団に通じるように説明すればいい。 (後で書くけれど、RFCに絶対的に服従する必要はないので)もしその範囲が ゼロ、つまり本人以外には理解不能だとしたら、それはオタクの独りよがりと 考えていいだろう。超天才で分かるのは本人だけ、ってことは法哲学ではあり えないと思う。100%分かるのは本人だけだとしても、超天才なら、周囲にある 程度わかるようには説明できるはずだ。そもそも哲学は概念とことばを操る技 術でもあるのだから、説明能力がない天才というのは考えにくい。

こういうふうにすれば、研究の意味が分かる範囲が拡大する。専門家以外の人 は、直接自分では理解できなくても、自分が理解できる研究者のコメントを通 じて、間接的に高度に専門的な研究を評価できる。場合によっては、この段階 は何段にもなるかもしれない。RBでは、いわば理解のグラデーションが描か れるんだ。濃い中心が直接見えなくても、薄まった周辺から見通して、中心の 濃さをある程度知ることができるというわけ。

そして、「社会に通じることばで説明すること」は実は法哲学界内部でも意味 がある。法哲学に限らないのだけれど、専門分化が進んで、だんだん専門家同 士でもでも話が通じにくくなってきているんだ。「思想のマーケット」という 言い方はむかしからあるんだけれど、残念ながら実現しているとはいえない。 お互いの間で話が通じずないために、交渉ができず、それぞれの商品(思想)の 価値も定まらない。使っている貨幣が違って交換の比率も決められないために 取引ができない。そんな状態だ。
だから、「社会に通じる言葉」を使うことは通貨統合にあたるわけ。「逆しま のバベル(RB)」の名前の由来もここにある。

バベルの塔って聞いたことあるんじゃないかな*16。 これも旧約聖書のお話。

大昔、すべての人間は同じことばを話していた。そして力を合わせて天に届く 巨大な塔を建てようとした。それを見た神は、人間の慢心に怒り、ことばを通 じないようにして建設を失敗させた。

わたしの評価システムは、その逆にお互いにことばを通じるようにして力を高 めることを狙っている。バベルの塔の逆だから「逆しまのバベル(RB)」って わけ*17。

要するに、自分の研究についてきちんと説明して、仲間の専門家と社会の批判 にさらし、それに応える。その過程がすべて公開され、蓄積され、発展してい く。そういうシステムなんだ。

そして、システム自体を「自己書き換え可能」に設定している。そもそも、R FCを強制的な規則にしていないのだ。そこで定めているのは「推奨レベル」 だけだ。納得できないなら従わなくていい。そのことはRFCの5.0で「RF Cに従わない場合、その理由の説明」を推奨することで、はっきりと示してい る。規約ではなく「RFC」にして、それ自身にコメントをもとめ、強制しな いことによって、RBの中でRBが成長していくように設計したんだ。まあ、 一種の人工生命と言えなくもない。

さて、これまでの説明でRBがどういう働きをするかお分かりいただけただろ うか。そして、RBにはわざと「穴」が開けてある。そういうことが分かるか どうかが、日本法哲学会会員に対するテストだったんだ。

ある意味で、これは「死ぬ順番」を決めるシステムなんだよね。しかも、本格 的に動き始めると、誰も逃げられない罠になってしまう。

次回はシステムの動き方についてもう少し詳しく説明して、テストの結果をレ ポートすることにしよう。

RBはもう動き始めている。



*1 わたしが初めて知ったのはたぶん永井豪「デビルマン」じゃなかったかと 思う。あるいは「魔王ダンテ」か。
*2 法学部で教えられていることが実学がどうかは大いに疑問があるのだけれ ど、その話はとりあえずしないことにしよう。
*3 技術系の専門学校には、逆に学生数が増えているところもあるようだ。だ が、これはたぶん大学にとっては明るい材料とはいえない。みんな、気づきは じめているというところだからだ。行っても仕方がない学校があるということ に。専門学校は勝ち組と負け組に分かれている。これを分けるものがなにかを 考えたとき、さて大学はどっちに似ているんだろうね。
*4 そもそもロースクールとはってのはちょっと長くなるし、本筋から離れす ぎるのでここでは説明しない。とりあえず、法律家養成コースと思っておいて いただければいいんじゃないかと思う。
*5 法学部以外にも法哲学専攻の教員はかなりいるのだ。
*6 直接聞いた訳じゃないので、本人の意図とはちょっと違う受け取り方をし ているかもしれない。ここでは、法哲学界の対応ぶりの証拠というんじゃなく て、わたしの印象を説明する道具にしていると思ってほしい。
*7 拙稿「未来は値するか--滅亡へのストラテジー」より。
*8 だから、学会報告は"「未来は値するか」法哲学会バージョン・プロ仕様" だった。会員の中にプロはほとんどいないみたいで残念だったけど。
*9 会員ということばをしょっちゅうつかっててヘンだと感じる人もいると思 う。これはちょいとワケあり。「法哲学者」と言っときゃいいようなもんだけ ど、その名前がふさわしくない会員のほうが多いから、ま、しょうがないとい うところ。「法哲学者および法哲学学者」だと長すぎるし。ついでに言うと、 学会と学界も使い分けてる(誤変換が残ってませんように!)。
*10 と言うとなんだか、外国はいいみたいだけど、そうじゃない。外国の大学 の事情はよく知らないから、こう言っているだけ。たぶん共通する問題はある と思う。ちょっとマシに見えるんだけどね。
*11 だから、法哲学が教育に逃げようとする姿はミットモナイ。いままでちゃ んと教育してたの? これからちゃんと教育できるの?
*12 これを逆手にとって、自分のことを「文科系マッドサイエンティスト」と 言うことがある。なんかマヌケでいいでしょ。でもどうしてマヌケにしか聞こ えないんだろう。
*13 理系には理系バカがいて、それはそれで始末に負えないところはあるよう だ。ただ、理系バカは使いようで役に立つ。どうしようもないのが文系バカっ てところか。その違いがどこから来るか、っていうことを考えるのが実は大事 なんだよね。
*14 実は、わたしはインターネットの掲示板をまったくと言っていいほど見た ことがない。掲示板だけじゃなくて、ホームページもほとんど見ない。自分で ホームページは作ってるんだけどね。どうも情報の受信には積極的じゃないな、 わたしは。
*15 もうちょっとましな説明が見たければ、次のページをどうぞ。
http://www.ascii.co.jp/ghelp/12/001291.html
*16 わたしが初めて知ったのはたぶん横山光輝「バビル2世」‥‥ではなかっ たと思う。
*17 このほか、象牙の塔をひっくり返すというイメージを持たせたいと思った。 そして、タロットカードの「塔」。これもやっぱりバベルの塔から来ているら しい。そのカードの意味は破壊、災厄ということなんだけど、占いだと「逆位 置」というのがある。そして‥‥実はまだ意味がある。まあ、全部言っちゃう と面白くないから。



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