islam column
 

 

00 クエッタの夕日 (jpg 17.8 Kb)

01 クエッタ・ニュース (19 Feb.1993)

02 青い空・砂色の街、クエッタ (26 Feb.1993)

03 SERENA HOTEL (26 Feb.1993)

04 絶体絶命的便所 (26 Feb.1993)

05 パキスタンの洗礼 (11 March.1993)

06 官僚主義(1) (11 March.1993)

07 女性の保護 (20 March 1993)

08 我がハザラ族・我がキッコ−マン (16 April 1993)

09 推論 (16 April 1993)

10 千夜一夜なんやかんや物語 (16 April 1993)

11 愛と怨嗟のフュ−ダリズム (28 May 1993)

12 大陸の人たち (28 May 1993)

13 * Requiem * (31 May 1993)

14 混沌の隙間に秩序がある (31 May 1993)

15 聴け!これが文明開化の音だ! (30 June 1993)

16 世界を股にかけるキャリア・ウ−マン (30 June 1993)

17 −手紙− (2 July 1993)

18 モハマザイとマンガルカンは僕のチョ−キダ−ルだ (August 1993)

19 『ワッタ−サッタ−』 (August 1993)

20 人材不足 (12 September 1993)

21 § 書評欄 § (12 September 1993)

22 カタム・ホーギャと泣かるる冬の虫 (26 November 1993)

23 世界の内側 (13 December 1993)

 

筆者の最初の第三世界体験が綴られています。まるだしの気負いと失望。

当時はe-mailというものが普及していなかったので、ワープロで打ったものを印刷し、それをコピーして家族と数人の友人に郵送していた。

当時、同じリーガル・セクションにいた同僚はもう一人もUNHCRに残っていない。カムーズは翌年アフリカに(どの国か忘れてしまった)転勤した直後、全身の皮膚から出血が始まり、原因は不明のまま、あっという間に亡くなった。その頃、エボラ熱を知っていたら、きっとエボラ熱ではないかと騒いだだろうが、今となっては何も分からない。信じられない出来事だった。

カールはクエッタ・ニュースの翌年スーダンに転勤になったが、その任務の後、辞めてスウェーデンに帰った。今、何しているのか分からないけど、いつかえらい人になって国際社会で活躍するような気がする。

ラモンは、やはりクエッタ・ニュースの翌年、UNHCRのあるポリシーに対する異議を書面にして提出し、同時に辞表を出してグアテマラに帰ってしまった。組織の方針と違ってもリポートには自分の信じることを書くべきだ、いつかそれが君の役に立つ、と彼は僕に言い残していった。筋の通った男であった。

僕は95年、任期を終えて一年近く定職につかず気ままな生活を送ったが、また同じ業界に戻ってしまった。

 
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