No.7 「カブール・日曜、午後4時の電話」


「声が聞けてうれしい」
「僕も」

ざらざらとひどい雑音まじりだったが、柔らかな声に微笑が含まれているのが 分かった。 緊張している。何を話せばいいのだったか?

始めてですね、やっと話せた、の語尾にクスクスという笑い声。
「うん、始めてだ・・・・あっ、そうだ。レポート読んだよ。ありがとう」
「えっ?読んでくれたんですか?うれしい」
「もちろん、読んだよ。昨日読んだ」
「へええ、そんなに早く!うれしい」

壁に向って立っている僕のうしろでは顔のほとんど半分が髭に覆われたアフガ ン男性職員達が仕事をしている。彼らのことが妙に気になる。僕は照れている のか。アホか。僕はカブールにいて、35キロ北方に最前線があって、街には 武装兵を満載したトラックが走り回っていて、多筒ロケット・ランチャーを搭 載したトヨタのピックアップが雑貨屋の前に駐車していて、市街地のあちらこ ちらにまだ地雷が散逸していて、先週市内にある弾薬庫が爆発して、ミサイル だかロケットだか知らないが試し撃ちのたびに空気が揺れて、鞭を持った宗教 警察が街をパトロールしていて、十万人を越える未亡人が餓死寸前で、街は物 乞いだらけで、水も電気もガスもまともに供給されてなくて、国連制裁のおか げで郵便もストップしていて、インターネットはもちろん使えるわけはなくて、 ここは職場なのだ、と思ってみたところで僕の頭はすでにぎこちなく硬直して いた。

彼女が発するどの言葉の語尾にもいつも微かな笑みが含まれていた。僕は何も 飾りのない冷たい壁に彼女の微笑を見ながら受話器を握り締めている。電話で 女の子とかわす、甘く爽やかな春風のような会話、つまり小説と現実の区別が つかない、そんな一瞬だけを食ってこの先一生、生きていけるような気分にな れた遠い昔。そんなフラッシュバックに襲われる。僕は現実とはまったく無関 係に勝手に気恥ずかしさに陥っているのだった。

しかし、彼女は僕の恋焦がれる女性でも恋人でも愛人でも妻でもない。
何より、会ったこともない。
彼女は僕が勤務する組織の女性職員だ。
しかし、事務所には決して来ない。
”国際社会”を激怒させたタリバンのお触れの一つのおかげだ。
女性は仕事に行ってはいけない・・・。

それから、僕はなんとかレポートの内容に話を向けることに成功したが、実は 手元にそのレポートはなく、記憶はあいまいで、相手の誘導にまかせながら、 話を進めざるを得なかった。

「私達も同じ組織のスタッフだということを忘れないで欲しいの」
「もちろんだ」
「でも、ずっと何も知らされてないの。自分の所属する組織が今どんな仕事を やっているのかさえ知らされてないの。これはおかしいと思う」
「おかしい。いつからそうなの?」
「97年からずっとよ」
「3年も?」
「そう3年」

アホな、と思った。
新しい事務所に来て数ヶ月、その間事務所にいたのは1ヶ月にも満たない。 それでも、「アホな」の連続だ。なんでこうなんだろう?なぜ、おかしいこと がこうやっていつも放置されているんだろう?国連は病気だ、と誰かれなしに 日本で言ってみれば、いや、民間会社も政府もどこでも同じですよ、みたいな 言葉が必ず返ってくる。

だから、どうなんだ?とさらに問えば、まあそんな青臭いこと言わないで、ま だまだ尻が青いですな、生きてるっていいですね、みたいなカビの生えたぬか 味噌みたいな話に引きずり込まれる。だからといって、帰国するたびに自閉・ 抑鬱気味になる自分に関して心配しているわけでもない。腐ったぬか味噌に 頭を突っ込めば誰だって多少は落ち込むだろう。いや、カブールの話だった。

3年以上も給料だけもらって自宅待機。ブルカで全身を包み、女性対象の援助 プロジェクトの現場にのみ女性スタッフだけで直接出向き(男性スタッフは女 性とのコンタクトを許されないから)、彼女達はかろうじて仕事の一部を継続 してきた。

それにしても、ほとんどの期間は自宅から出ることのない生活。家でブラブラ してるだけで給料がもらえていいな、あるいはケシカランという人もいる。そ うじゃないだろうが。全世界にこういうタコは散らばっている。ついでに今思 い出したことを書いておくと、カブールの女性の間で抑鬱症、神経症など精神 疾患が爆発的に増えているという調査報告があった。

とにかく、僕は週一回、ドキュメントのセットを女性スタッフの家に送ること を約束した。

「ほんと?うれしい!」
「今までがおかしかったと思う」
「おかしいことはいっぱいあると思うんですけど・・・
えーっと、それと私達にコンタクトをとるスタッフが決まっているんだけど、 それも・・・」 「ああ、それレポートに書いてあったの覚えている。僕に直接コンタクトとれ るようにしよう」
「ありがとう。こっちから電話する」
「いや、オフィスからするよ」
「それは無理」
「えっ、なんで」
「知らないの?」
「そんな決まりもあったかな」
彼女のクスクス笑いが大きくなった。
女性に電話してはいけないという決まりがあったかなと僕は考えていた。

「そのオフィスの電話おかしいの。受信しかできないのよ」
「えっ、そうなの?知らなかった」
「だから、私が電話する」
「分かった。じゃあ時間とか曜日とか決めておこうか」
「うん、そうしてください」

なんか変な話だ。男性上司と女性部下が定期電話の約束をする。普通こういう のは・・・いや、やめとこう。つまり、同じことでも文脈が変われば、なんと 意味がことなることか。

電話も使わずほんとに仕事してるのかと疑われそうだから、念のため事情を書 いておこう。

基本的にはアフガニスタン全土の電話線は寸断されて使いものにならないとい うのが現状と説明するべきだと思う。
しかし、カブール、カンダハルのような主要都市の電話線はタリバンが少しず つ繋いで部分的に復旧している。最初は彼らの仕事上の必要性からまず自分達 が使う建物の間を結び、その後徐々に一般にも広がり、今では我々の事務所も そのおこぼれにあずかっているというわけだ。しかし、まったく閉鎖された空 間をなんとか繋ぐだけの閉じたネットワークであることにはかわりない。

外国とはもちろんつながらない。外国との交信には衛星電話を利用するしかな い。最近の衛星電話はノートパソコン程度の大きさで、かつ緊急連絡程度なら バッテリーで交信可能なので、非常に便利だ。しかし、その通話料はバカ高い。

電話がこういう状況なので、アフガニスタンではもっぱら無線を利用する。国 連職員は必ずウォーキートーキーを携帯することが義務づけられている。
カブール市内ならこれで十分だ。各職員にはコールサインが割り当てられ、実 名を使わずに交信する。どうやってコールサインが決められたか知らないが、 規則性はまったくないようだ。

例えば、デルタ、シエラ、チャーリー、タンゴ、オスカー、フォックストロッ ト、パパ、ベクター、ロミオ、アルファ、ノーベンバー、ゴルフ、インディア、 マイク、ハロ、エックスレイ、ズールーなどが各組織に与えられたコールサイ ンで、その後にナンバーがついてその組織の特定のスタッフのコールサインに なる。ロミオ・ワンと呼び出しがあれば、僕は応答しなければならない。

もちろん国連車にも必ず無線機を積載することが義務づけられている。これは もっと強力で国境を越える通信も可能だ。カブール、ペシャワル、移動中の国 連車の3点を同時に繋いで会話するなんてこともある。

というわけで、カブールで市内電話をかけた経験は一度もなかった。
それにしても、なんでおかしな電話をそのまま放置しておくんだ?腹が立つが、 これもきりがない話の一つ。冷静になってから、今すぐ直せと総務に命令した。 全然冷静でないか。

話を元に戻すと、その日から彼女は5人いる女性スタッフの代表として、毎週 日曜日の午後4時にオフィスに電話をしてくることになった。一番覚えやすい タイミングを選んだつもりだ。アフガニスタンでは金・土が休日で、仕事は8 時から4時まで。つまり、週最初の日の終業時刻が定期電話の時間。それぐら い記憶しなくては。

国連はそんなに少ししか仕事しないのか、と思う人に対してあらかじめ言い訳 がましいことを書いておくと、仕事を午後4時に終えることはまずない。金・ 土を休むこともまずない。宿舎に戻ってもまだ仕事している。それが普通だ。

なぜ、そんなことになるかというと、アフガニスタンのオペレーションに関わ っている国連機関全般に言えることなのだが、恒常的に予算不足のため、人員 も常に不足していて(雇う予算がない)、かつ20年の戦乱の結果アフガニス タンには根本的・長期的・大規模な「開発援助」というカテゴリーに入る活動 が必要なことは誰の目にも明白なのだが、95%を支配しているタリバンが政 府として承認されていないため(パキスタン・サウジアラビア・アラブ首長国 連邦の三カ国をのぞいて)国連が加盟国から受取る援助資金はほぼ全部、緊急・ 短期的・小規模な「人道援助」というカテゴリーに入る活動に使える資金のみ で、言わば氾濫する大河を石ころを積み上げて修復しているようなもんで、ど んだけ頑張っても間に合うわけはなくて、かつタリバンの信条と国連の原則は しばしば真っ向から対立するため、実際の援助活動よりも様々な活動のディ テール(例えば人権!)をめぐる交渉に膨大な時間を奪われてしまい、かつア メリカによるアフガニスタンへのミサイル攻撃、パキスタンの核実験、パキス タンでのクーデター、ハイジャックされたインド航空機の飛来、アフガニスタ ンを空爆するというロシアの威嚇、アメリカのオサマ・ビン・ラディン引渡し 要求、その拒絶に対する国連制裁、それに対するアフガン群集の国連事務所へ の攻撃など現場の援助活動とはなんの関係もない外的要因による「事件」がひ っきりなしに起こり、かつ関東大震災規模の地震が年一回のペースで発生し (誰も注目しないが)、おまけに今年は30年来最悪の旱魃で家畜はばたばた 死に、南部の田畑は絶滅し、住民まるごと棄村して移動するケースがでる始末 で、そんなこんなで常に仕事に追われているからだ、
というわけでもなくて、アフガニスタンには仕事以外にすることがなんにもな いからなのだった。

仕事以外にすることがないと書いてしまったので、その事情も若干説明してお こう。 アフガニスタンに滞在する国連職員はアフガン人を除いて全員、国連の指定す るスタッフ・ハウスという施設に強制収容される、もしくは宿泊することを義 務づけられる。それは言わば牛舎のようなもので、一人あたり三畳ほどの人糞 の悪臭で満ちた空間を与えられ、アルミニウムの食器に入った食事が定時に配 給され、鐘の音できっかり午前6時に起床し、全員一緒に護送バスに乗って仕 事の現場に向う、と言ってみたら信じる人もいそうな気がするが、もちろんそ んなわけはない。ただ気分的にはそんなものなのでそう書いてみたかった。

愛「国連」者(変な言葉だ)が気分を悪くするといけないので実際のことを書 いておくと、カブールにある国連のスタッフ・ハウスは砂漠のオアシス、地獄 の中の天国、醜女の中の紅一点、山村に勘違いして作ったリゾートホテルみた いなもの、と三日間だけ滞在する人には見えるかもしれない。

もう少し詳しく書くと、スタッフ・ハウスは極めて閉鎖的・排他的・外人居留 地的・植民地的・租界地的に運営されている。原則として国連職員以外はスタ ッフ・ハウスに宿泊することは許されない。いや敷地に入ることも許されない。

例外は、国連のパトロンである政府の役人で、当たり前だが、この人達が出張 でやってきた時は宿泊することができる。半分例外的なのは、NGOの外人職員 (非アフガン人)で、彼らは宿泊することはできないが、メンバーシップ・ フィーを払ってスタッフ・ハウスの敷地内の施設を利用することはできる。

スタッフ・ハウスの敷地は高い塀で囲まれ、外からは中の様子は分からない。 ゲートは24時間、内からは国連のガードが守り、外からはタリバンのガード が守っている。一歩中に入れば、まったく別世界になる。日本の都会の小学校 の校庭には負けない程度の広さの芝生の庭に白いテーブルとイスが散らばり、 その気になればメルヘンチックな感傷にひたることも不可能ではないだろう。

そして、20世紀最後のこの年にアフガニスタンに存在する唯一のスイミング プールがここにある。蔦科の植物が花を満開にさせつつ日陰を作る遊歩道が芝 生と宿泊施設とスイミングプールを繋いでいる。簡素だが一応六本木のアスレ チック・クラブと同じ機材を揃えたジムがあり、スカッシュコート、ビリヤー ド、卓球台なんかもある。

また恐ろしいことに、ここだけの話だがウルトラ・イスラム原理主義などと呼 ばれるタリバンの目を盗んで、メイン・ビルにはバーが堂々と運営されており、 まっとうなスコッチで泥酔することも可能である。バーは非宿泊者のメンバー、 つまり外人NGOスタッフには週四日、宿泊者にはいつでも開放されている。 バーにはいかにもアメリカンなポップ・ミュージックが流れ、タバコの煙でも うもうとした中でダーツをやる人、ナンパを決行する人、一人で勝手に泥酔す る人、仕事の話に熱中する人、何をしたらいいか分からない人など、世界中の たいていのバーで見られるのと同じ光景が再現されている。違うのはここがカ ブールのど真ん中にあるということだけだ。

宿泊設備はメイン・ビルディングの他に4棟のアネックスがあり、短期滞在者 はメイン・ビルに、長期滞在者はアネックスに泊まる。それぞれのアネックス にもやはりプライベートな庭があり、キッチン・リビングルーム・ダイニング ルームが付いている。各アネックス専従のスタッフが掃除・洗濯・料理をする。

職員一人につき一部屋が与えられ、もちろん相部屋なんてことはない。部屋は 普通のホテルと同じようなものだ。床に衣類を脱ぎ捨てたまま仕事に行って夕 方戻ると洗濯済みでアイロンがきっちりあたった衣類になっている。ベッドや イスの上に脱ぎ捨てたものはそのままになっている。つまり、「床に」置くと いうのが洗濯してほしいという合図である。

各棟のリビング・ルームにはテレビがあり(念のため書いておくとアフガニス タンではテレビは禁止されている)、衛星放送でBBC、CNN、その他インド発信 の番組を見ることができる。ビデオ、VCDを見る人もいる。いろんな国籍の人 がいるのでサッカーのインターナショナルマッチがある時などは各国の職員が 二手に分かれてちょっとした騒動になる。

食事は朝・昼・晩、好きなときにダイニング・ルームに行って、めしっ!と怒 鳴るか、黙って悲しそうに座っていると出てくる。メニューはない。メイン・ ビルのダイニングルームで日替わりで出てくるものを食べるか、アネックス専 用のコックに注文して作ってもらったものを食べる。標準的なメニューは、朝 は、コーヒーかグリーンティー・生フルーツジュース・トースト・卵二個、昼 はスープ・サラダ・メイン(肉料理)・フルーツ・コーヒー/ティー、夜はスー プ・サラダ・メイン(肉料理)・デザート・コーヒー/ティー。栄養的には文句 のないメニューなのだろう。

さて、それですることがないとは、どういうことなんだ?てめえら、リゾート・ ホテルで年中遊んでいるのか、えっ?。プール?旱魃はどこ行った?だいたい 戦争はどこ行った?と怒り出す人がいても不思議はない。地中海クラブが好き な人にはたまらない仕事環境かもしれないし。

しかし、我々は鬱屈している。どうしようもなく。 アメリカは戦争にコカ・コーラの自動販売機を持っていくという話があるが、 きっとアメリカ兵はそんなもので騙されないと思う。我々は兵隊さんとは比較 にならないほどいい境遇にいるとは思うが、それでも鬱屈している。なぜか? 典型的な一日を辿ってみれば、読むだけで鬱屈する人もいるかもしれない。 いや、怒りが収まらない人もいるかもしれないが。

* * * * *

朝7時に起きる。8時前には各国連機関の車が職員を迎えに来る。外人職員は 自分で運転することは禁じられている(もちろんみんなチョコチョコとこの規 則を破ってはいるが)。

午後4時の終業時刻にはアフガン人職員を送迎するシャトルが一斉に街の中を 走り回る。シャトルに出た車がオフィスに戻ってきた頃には、我々外人職員も なんとなくオフィスに居づらくなる。ドライバーが早く家に帰りたいからだ。 仕方ないから、どんなに中途半端に仕事が残っていても遅くとも6時半にはオ フィスを出る。

仕事帰りにちょっと一杯飲みに行ったり、食事に行ったり、ショッピングに行 ったり、映画を見に行ったりすることを夢想しながら、また車に乗せられて帰 途につく。

車の窓から街の人々を見る。カブールでは過去3年の間に街を歩く女性の姿が 増えた。タリバンが住民になめられ始めたという解釈が一般的だ。まだまだ宗 教警察は怖いのだが。

頭からすっぽりブルカで覆われていても、目のあたりだけ網目状になっている ので、ひょっとしたら顔が見えるかもしれないと、女性を発見するたびに、つ いその網を凝視してしまう。車に乗っている外人に気づき、こっちをじっと見 る女性もいる。僕も彼女を見る。視線があったかどうか判定することもできな いのだが、僕はドキドキする。ややしあわせな気分になる。きっと視線は合っ たのだろう。車は僕の淡い恋心を無視して雑踏を蹴散らして進んで行く。

網の目ごしに微かに見えるか見えないか分からない女性の目を意識して ほとんど欲情している僕はどこかおかしいのだろうかと思いながら、車窓に 流れる景色を見つづけている。そして、隔離されている、と思う。

通勤時間は5分だ。たまには散歩しながら帰りたいと思う。ひょっとしたら、 もっと近くでブルカの網の目の中を凝視して、彼女の視線を捉えるチャンスが あるかもしれないと思うと猛然と興奮してくる。

しかし、この希望は決して実現しない。外人国連職員は街の中を歩行するこ とを禁じられているからだ。買い物に行きたい場合は、目的の店にドライバー に頼んで車で直行し、降車したら店の中にすぐ入ること、なんてインストラク ションもある。要するに、自分の姿を極力外部にさらさないということが原則 になっている。

スタッフ・ハウスに着く。芝生に散らばっている白いチェアーにぽつり、ぽつ りと他の機関の外人職員が座っている。本を読んだり、ぼんやりしていたり。 こちらは簡単に視線が合う。やあ、と言う。やあ、と返ってくる。毎日同じ顔 を見ているから、長い挨拶はしない。僕も白いベンチに腰掛けてみる。カブー ルの夏は涼しくて快適だ。今頃イスラマバードは40度を軽く越えているだろ うなと思う。

プールから小さな子どもの声が聞こえる。NGOの外人職員が国連のスタッフ・ ハウスに子どもを連れてきて遊ばしているのだ。彼らのためにブランコや滑り 台も最近備え付けた。2、3歳の子ども達が楽しそうにはしゃぐ姿を見て、我 我はなんとなくまた鬱屈する。アフガニスタンでは国連職員は家族を連れてく ることを禁じられている。全員単身赴任だ。NGOにはそんな規則はない。だから、 家族全員で赴任してくる。彼らの子ども達だけがここで遊ぶことができる。

芝生の上で空を見ていると、高いところを猛スピードで移動する物体を発見す る。近くに座っているバングラデシュ人の職員がジェット戦闘機だと言うと、 別のオーストラリア人の職員がクルージング・ミサイルだという。議論が始ま る。湾岸戦争、旧ユーゴスラビア紛争、コソボのNATO空爆などの体験談で盛り 上がり、ミサイルだか戦闘機だかなかなか決着がつかない。どっちでもいいや、 要するに武器だと思いながら僕はアフガン名物グリーン・ティーを飲んでいる。

ペンディングになっている仕事の山が頭の中からなかなか出て行かないがなん とか忘れようと努力する。ビリヤード好きなネパール人の職員が帰って来る。 一発撃とうかと彼が聞く。オーケーと僕は言う。彼と僕は毎日ビリヤードをし ている。別に好きなわけでもかつてよくやったわけでもないが、習慣になって しまった。

一時間ほどやってほとんど全敗して、また芝生の庭に戻る。また白いチェアー に座る。三々五々みんな集まってくる。ドイツ人、フランス人、スリランカ人、 エジプト人、オランダ人、イギリス人、スウェーデン人、ネパール人、バング ラデシュ人、日本人等が長期滞在者の国籍だ。たわいのない話を延々として時 間をつぶす。仕事の話をすると5ドル罰金を取ることにしている。

日が暮れ始めるとプールの周辺で遊んでいたNGOの家族達が帰り始める。子ど もの邪魔にならないように遠慮していたのか、あるいは子どもが邪魔だったの か、それまでプールに姿を見せなかった国連の職員達がポツポツとやってくる。 僕もたまに泳ぐ。なんとなくヤケクソで1時間くらい泳いでみる。ゴーグルを 付けないので、プールから上がれば世の中が真っ白になったままなかなか元に 戻らない。

ラウンジに行ってみる。同じ顔が見える。BBCをちらっと見る。バーに行って みる。同じ顔が見える。ダイニング・ルームに行ってみる。同じ顔が見える。 ディナーはいらないから、チーズサンドウィッチを作って庭に持ってきてほし いとウェイターに頼む。芝生に戻ってみる。同じ顔が見える。今は気候が良い ので、みんな庭のテーブルでディナーをとる。

ディナーのメニューは一週間ですべて出尽くす。二週目にはまったく食欲をな くす。みんな文句を言う。しかし、贅沢すぎるメニューであることは確かなの で文句を言う気にはなれない。ただ、肉というものを見ると食欲をなくす。

ここの食事はカブール市内の最高級レストランの20倍以上の値段、一日の食 事代がアフガニスタンの公務員の3ヶ月分の給料に相当する。それでも文句を 言う。ドレッシングがどうのこうの、鶏肉のブレストをレッグと代えてくれ、 トマトペーストが多すぎる、デザートのケーキの焼き具合がよくない・・・・ あげくのはてにほとんど残す。馬鹿げている。嫌なら食べなければいいのだ。

僕はチーズサンドウィッチを食べながら、囲い込み型リゾートが好きな人は不 幸な人なのだろう、なんてことを考えている。同僚の食い散らかしたディナー の残滓が白いテーブルから下げられ、お茶を飲んだりスコッチを飲んだりしな から、10時頃までみんなでまた、とりとめのない話をして庭で時間をつぶし ている。一発撃とうかとまたネパール人が言い出す。オーケーと言って30分 ほど全敗して一日が終わる。部屋に戻る。いくつかの仕事に手を付けるが挫折 してベッドに入る。

そうスタッフ・ハウスに一度戻ってきたら、もう二度と外には出ないのだ。門 限が午後7時だから、出てもしょうがない。我々はUNスタッフ・ハウスを「天 国の監獄」と呼んでいる。

* * * * *

プロジェクトに関して彼女達が直面している問題はいろいろあった。女性達が 顔を世間にさらすことも、一人で外出することも、ましてやオフィスで働くこ となど禁止されている国で、なおかつあの手この手を使って、仕事をしようと しているわけだから、各方面からのありとあらゆるハラスメント、具体的な身 の危険に彼女達は常にさらされている。

・・・ある日、女性3人がアイスクリーム屋に入った。ブルカで完全に全身を 覆っていたが、親族の男性を伴っていなかった。これはタリバン支配下では 違法行為である。女性3人は宗教警察に見つかった。一人ずつ外に出るように 命令された。回りの男性客は全員硬直して微動だにしなかった。今から起きる ことをすでに知っている女性達は泣き始めていた。宗教警察の一人が革の鞭 を大きく振り上げた。すべての怒りをこめて西瓜でも叩き潰すように思いきり 革の鞭を女性の背中に振り下ろした。一瞬泣き声が消えた。女性の姿も消えた。 道の上に転がっている物体から気管支を隙間風がこするようなヒュ〜という変 な音が聞こえた・・・

僕のオフィスの女性スタッフもみんな一度は逮捕・拘禁されている。それでも、 会話は彼女達をもっと仕事に巻き込む方策を考えるという僕の約束で収束にむ かった。もっと危険な方向へ?もっとまともな方向へ?両者が同じ方向の場合 どうするか、ここでは日常的な意志決定のほとんどがこれに関わる。

たぶん、我々のストレスは、地雷を踏んでしまうかもしれないとか、寿司が食 えないとか、家族と話ができないとか、映画を見に行けないとか、夜間外出で きないとか、女性の顔も形も忘れてしまうとか、ネットサーフィンをできない とか、日本語(日本人の場合)を話す相手がいないとか、そういうことに発す るのではなく、我々の意志決定がコストではなく原則を優先しなければいけな いからだろう。

ところで、僕は彼女達に何を送ればいいのだろう?
バラの花束の話ではない。
そうではなくて、彼女達はどんなドキュメントを受取りたいのだろう。
もう一度確認してみた。

「なんでも。なんでもいいんです。オフィスに行っていた頃はいろんなドキュ メントが回ってきてとても勉強になりました。仕事に直接関係しないものでも、 送って欲しいんです」

世界から孤立した、こんな場所でも、オフィスにはありとあらゆる報告書や ニュースレターの類がニューヨークやジュネーブから回ってくる。1週間に送 られてくるドキュメントを積み上げると平均して20センチくらいだ。その中 のほんの数通が仕事に直接関係するもので、後はアフリカでどうしたこうした、 コソボでどうしたこうした、東チモールでどうしたこうした、シエラレオネで どうしたこうした、安全保障理事会でどうしたこうしたみたいなもの。全部読 んでいる暇のある人はいないと思う。
女性スタッフはこんなものも欲しいんだろうか。

「そう、そういうの全部送って欲しいんです」
「ものすごい量になるよ」
「うれしい・・・」
「そう、うれしいの?」
またクスクス笑いが大きくなった。
その時、僕の10代から20代のほとんど全時期をふいにしてしまった女性を 笑わさなければいけないという強迫神経症が一瞬ぶり返しそうになったのをか ろうじて抑えこむことができたのは、あっ、この人は僕と同じ境遇にいるのだ、 という思いつきであった。ニブイッ!いったい今まで何分話していたのか。

ランドクルーザーの内と外にはまったく何の繋がりもなく、国連スタッフ・ハ ウスはそれにとどめをさして、二つの世界を完璧に遮断している。日本と世界 の間の都合よく忘却された遮断よりはたちがよいかもしれないが、我々の鬱屈 がここに発するのは明らかだ。

そして、僕のいる世界の外側にも同じ鬱屈を抱えた彼女がいた。世界との繋が りをなんとか求めようとする彼女の中に、僕は暗い書庫の中から世界を覗こう としていたかつての自分を見ていた。僕は急速に親近感を増加させていた。
しかし、あげくの果てにカブールくんだりまでやってきて世界との亀裂を再確 認するに過ぎなかった僕には、膨大なドキュメントがどれほど彼女の役に立つ のかという思いも残る。しかし、全部送る、と彼女には答えた。

僕はなかなか電話を終えることができなかった。
僕は今電話線一本でだが、確実に内と外が繋がっていると感じていた。
そして、その感覚は彼女も共有していたのだろうと思う。

最後に彼女はゆっくり I hope to see you と言った。
誰でも最後に使う決まり文句。なぜそんなにゆっくり言うのかと一瞬いぶかし く思いながらも、自動的に決り文句を返そうとした。が、なんとかその瞬間、 僕は言葉をのみこんだ。真っ白な頭の中で分かりきっているはずの事実を僕は 反芻していた。

<彼女とは決して会えない。彼女を見ることはできないのだ。>

常に垂れ流している単なる音に過ぎない「アイホープトゥシーユー」が突然意 味ある言葉になった。その時、僕は本当に to see you を I hope していた。 でも、ただ「僕も」という決り文句を返す気にはならなかった。恐ろしく陳腐 な言葉でありとあらゆる「事件」を無化するマスメディアに鍛えぬかれた日本 人としては、そんな決り文句で彼女を壁の向こうに突き飛ばすようなまねはと てもできない。ゆっくり喋ったのは決り文句としての I hope to see youでは ない、というメッセージだ、と僕は解釈した。

「君に会いたい(I want to see you)」と僕は言った。一瞬照れる自分。
「私も」と彼女は答えた。語尾から微笑は消えていた。照れる自分も消滅して いた。

「Let's meet sometime. We can do that somewhere」
(いつか会おう、どこかで会える)

「Will you give me a chance ?」
(チャンスを作ってね)

「I will. Sure I will」
(作る、絶対作る)

僕は静かに受話器を置いて、もう一度目の前の冷たい壁を見ながらうっかり I love you と口走らなかったことを安堵していた。