| JapanMailMedia 032F号から転載。 |
|
■ 特別寄稿 山本芳幸 No.2 「非常事態な日常」 10月15日(金) 午後6時頃、帰宅してウェブに繋ぐと、龍さんからのメールが届いていた。 > このクーデターを期(?)に、イスラム世界のレポートを、 最初、何が書いてあるのか、よく分からなかった。何かよくないことが龍さんの身辺に起こったのだろうか。それとも、突発的な仕事が入って動きがとれなくなったのだろうか。少し心配した。信じがたいかもしれないが、この時、僕はまだパキスタンで非常事態宣言が出たことを知らなかった(!)。 もう、これだけ書けば、現地の状況のほとんどは理解できたかもしれない。 ---------------------------------------------------------------- 今朝起きて、まず最初に僕がしたことは銀行に電話を入れることだった。昨夜ウェブを見ると、やはり銀行の外貨取引が停止されたと出ていたからだ。口座の残額をきいて、今日引きおろせるかどうか尋ねた。銀行員の「イエ〜ス、ユ〜、キャァァ〜ン」 という面倒くさそうな声が「お前はタコか」と言っているように聞こえた。みんな(タコ以外)変わりない日常を送っているのだった。しかし、それでも、せこい抜け駆け根性が働き、取り付け騒ぎの気分で、今日中になんとか銀行へ行こうと思った。 それから、新聞もウェブも見ずに僕はオフィスに行き、銀行に行きそびれ、やっと午後6時頃、帰宅した。そして、龍さんのメール。日本の文脈で言えば、笑ってしまう話だろうけど、今日は帰るのがとても遅く(!)なってしまったのだった。 金曜日は、イスラム教では安息日だから、本来仕事してはいけない。数年前まで、パキスタンでは金曜日は全国的に休日であった。しかし、やり手ビジネス・マンとしてパキスタン経済の立て直しを一身に担って登場したナワズ・シャリフ首相、いや元首相は、金曜日休日制を廃止した。他国経済との取引上、不利であるからだという。グローバリズムが国家の休日を変えた例かもしれない。 信じられない話がもう一つある。今日一日オフィスで「非常事態宣言」を話題に出した人は一人もいなかったということだ。皮肉なことに、みんな、来年の非常事態の値段の計算に没頭していたのだ。これには少し説明がいる。 このところ毎年年末に、全世界の国連の緊急・人道援助プログラムへの拠出金を求めて、各国連機関が共同で、『グローバル・アピール』というものを出すのが恒例となっている。世界の各紛争地ごと個別に、しかも各国連機関が別々に、ちまちまと拠出金を加盟国にお願いしても、なかなか金が集まらないから、世界まるごとみんなで一緒にお願いしようということになったのだ。 10月15日は、その『グローバル・アピール』へ載せる予算提出の現地レベルでの締め切り日だった。しかし、よく考えれば、「来年度」の「緊急・人道援助」(英語では、emergency,humanitarian, relief などの語が使われるが同じカテゴリーの援助を指す)の「予算」とは、訳の分からないコンセプトである。平和な地域で行われる「開発援助」なら、長期的展望に立って予算をつくることができるが、将来、起こるかもしれない非常事態を予測して予算を立てるなど、厳密に言えば、できるわけがない。 結局、何をするかと言えば、今ある不幸が継続すると前提して、その対策経費を計算するのだ。来年、起こるかもしれない新しい不幸に関しては、ほとんど博打的な予算だ。起こるかもしれない不幸の値段を計算する。我々は悪魔の手下か。 つまり、今日我々は、来年のemergency のための予算を立てるために、 state of emergency
が宣言されたばかりの空間の中で、仕事という日常に没頭していた。 ---------------------------------------------------------------- 10月16日(土) 午前10時頃、魚売りの少年が家にやってきた。時々、彼は自転車の荷台に魚を入れた木箱をくくりつけて、はるか北の町から、首都イスラマバードにやってくる。 外人、汚職官僚、腐敗政治家らの住んでる家を一軒一軒訪れて、北方の川で獲れた魚を売り歩くのだ。木箱をのぞくと、かなりでかい魚が四尾ゴロンと入っていた。一尾は鯉に似ていたが、よく分からない。あとの三尾は全然名前は知らないが、パキスタンではよく見る魚だった。それを一尾買った。約2キロで、145ルピー(300円)。 この魚売りの自転車にはかならず後続車がついてくる。魚のさばき屋だ。客がまんまと魚を買うと、後続の自転車をひく男がすばやく七つ道具を自分の木箱から取り出し、玄関先でさばく。なかなかいい連携だ。 路上で解体されつつある魚の鱗が秋の日差しに光るのを見ていた。ふと、この二人の若者は「非常事態宣言」を知っているだろうかと思った。あまりに、平和でのどかな風景ではないか。「日常事態宣言」でも出すか。しかし、僕のウルドゥー語で、そんな話をするのは無理なので何もいわなかった。 様々な香辛料にこの魚を数時間つけて、カリッと揚げて食った。ピリッと辛くクリスピーな皮と柔らかい白身のコントラストが効いて、実に美味い。 ---------------------------------------------------------------- 10月17日(日) 午後8時半に始まったムシャラフの演説を見た。いい人が出てきたな、と思った。単なる直感だ。あてにはならない。しかし、いっしょにテレビを見ていた妻も「He
is a good man ! 」と言った。 もっと具体的な日程の発表などを期待していた人達は落胆したかもしれない。そのような形式を整える演説を作るのは簡単だし、早くも「軍政」にプレッシャーをかけ始めている国際社会に対してもその方がウケがよかったはずだ。しかし、それをあえてしなかったところに誠実さが現れていると見た。腐敗構造を本気で一掃する覚悟だと僕は解釈した。期待し過ぎか。 「デモクラシーの一刻も早い復帰を」とか、「憲法の回復の早期実現を」とか、各国の声明を見ていると、マニュアル通りにしか喋らないファーストフードレストランのお姉さんを思い出す。「クーデター→非難すべき→デモクラシー復帰すべし→憲法尊重」という教科書(マニュアル)で覚えた回路を繰り返すのが仕事なんだろか。としたら、ファーストフードと政治の意外な近似性。 いったい、どのデモクラシー、どの憲法に復帰しろといいたいのだろう?首相の権限強化のために憲法を改変し、大統領を飾り物にしてしまい、司法に干渉して最高裁を骨抜きにし、メディアを弾圧し、親戚一同・仲間うちで政府要職を占め、議席は「遺伝的」に継承され、よってたかって国家の予算を食いつぶし、税金・電気代・水道代・ガス代・電話代も払わず、経済政策といえば税金を上げることしか知らず、政府批判が高まると関心をそらすために宗派間抗争を煽り、いよいよ足元がグラグラゆれてくるとアメリカに助けを求めに行く、そんな政府が好きだった? ---------------------------------------------------------------- 10月19日(火) 昨日、今日と、地元の新聞を読むのが楽しい。クーデター以来、犯罪率が激減したという記事があった。汚職がバサバサと摘発される。悪代官のように振舞ってきた官僚が次々にクビになる。一般のパキスタン国民は胸のすく思いだろう。 各政党は世俗的なものからイスラム原理主義的なものまでみんな揃ってムシャラフに大きな期待をかけている。彼等が言っていることを一言でまとめると、どんどん腐敗分子を追放して、また一からゲームをやり直そうということだ。そのためには、しばらくムシャラフさんにいてもらわないとしょうがないという点で彼等は一致している。 引退した軍の最高指導者や元大統領なども、こまごまとしたアドバイスをムシャラフに送って応援している。変な奴を側近に選んだら失敗するのだぞ、注意するんだぞ、騙されたらダメだぞ・・・と。 今、パキスタン国民はとてもシンプルな目標をもって、上から下まで一致団結している。国を建て直すんだという熱い空気が伝わって来る。ほんの数日前まで、諦めと停滞だけがこの国を覆い尽くしていたのが、もうウソのようだ。日本にはないことを龍さんが発見した希望がここにはある。そんな国の新聞は読むのが楽しいものなんだということを発見した。 ---------------------------------------------------------------- メディア的には劇的なことは何も起こっていない。銃声も流血もない。イスラマバードのマリオット・ホテルに大挙して詰め掛けた日本人ジャーナリストは退屈してるだろう。映像メディアが権力を握って以来、銃声と流血が事の重大性の尺度になってしまっている。文字メディアも、不幸なことに独自の尺度を利用できる特権を忘れて、映像メディアと同じ尺度を使う。「メディア的」とはそういう意味で僕は使っている。 『グローバル・アピール』などという田舎政治家がやりそうなパファーマンスを我々がやるはめに陥るのも、原因は同じところにある。世界には悲惨な状況がいくつも同時に並行して存在する。その悲惨は想像力の範囲を越えている。映像はそれを大いに助ける。BBC、CNNで放映されると、視聴者は驚く。政治家はそういうところに手柄のチャンスを見つける。政府が動かされる。お金が集まる。BBCとCNNはメディア的に劇的なところにしか来ない。慢性的に静かに想像を絶した悲惨がいくら続いても、メディア的にはおもしろくない。 メディア的につまらないパキスタンの現状は非常に興味深いものだ。 民主主義の範囲内で合法的に独裁政権が成立した場合、どのようにして国民はその独裁政権を倒すことができるか。その独裁政権の下で国民は形式的な合法性を尊重して独裁体制に甘んじるべきなのか、あるいは合法性の枠を出てレジスタンスを実行するべきなのか。 ムシャラフが乗っていたのと同じ機に乗っていた一般乗客の話が報道されていた。その機には、スリランカでの水泳競技に参加した高校生がたくさん乗っていた。その一人がどうしても喋らせてくれといって話した言葉が載っている。「メディアで知ったんだけど、西洋諸国はデモクラシーをパキスタンに回復しろと言ってるけど、罪のない一般人の生命を危険に陥れるデモクラシーって、いったいなんなの?」 ムシャラフは、合法性の問題に18日の演説で触れている。「10月12日、手足を犠牲にして身体を救うか、手足を救って全身を失うかという選択の前に我々は置かれました」というように表現している。身体とはnationのことであり、手足とはconstitution のことである。 「consititution はnation の一部です。だから、私はnation を救う方を選んだ。しかし、それでもconstitution を犠牲にしないように配慮した。consititutionは一時的に停止されただけである。これは、martial law ではない。デモクラシーに至るもう一つに道に過ぎない。 軍はパキスタンに真のデモクラシーが繁栄するための道を開くために必要である以上の期間、政権に留まる意図を持っていない。」 身体と手足という比喩が適切かどうか分からないが、彼の意図は国民に十分に伝わり、理解されたようだ。 constitution で定められた構築物を、state と呼ぶ。あるnation がある種のstateを選び取ることに合意して、nation とstate が幸福な結合を果たすと nation-stateが成立する。これを国民国家と訳すことに何の意味があるのかさっぱり分からないが、社会科の教科書ではそう出ている、あれのことだ。 しかし、現時点でのパキスタンは、極めて平和である。state を支える constitutionがタイムをとり、西洋近代の信仰では常にセットであるべき
『law and order』の半分が欠損した、非常に危うい状態にあるにもかかわらず、国民(nation )の自発的な意志で秩序は保たれている。 非常事態宣言下のパキスタンで続く日常を今、僕はこう解釈している。パキスタンでは今、驚くべき事態が発生している、と。 山本芳幸(在イスラマバード) ・UN Coordinator's Office for Afghanistan / Programme Manager (国連アフガニスタン調整官事務所 / プログラム・マネージャー) 山本芳幸氏は友人です。文藝春秋に連載中の『希望の国のエクソダス』のパキ スタン北西辺境州の取材の際にもお世話になりました。氏のレポートは 龍声感冒 http://www.ryu-disease.com/jp/kabul/ でもご覧になれます。 パキスタンのクーデターだけではなく、イスラム世界の現状について、山本氏 のレポートを不定期連載します。わたしのとのメール交換の形になるかも知れ ません。 村上龍 |