The Quetta News
23 世界の内側 13 Dec. 1993

 

  ちょうど10ヵ月前の夜明け前、僕はジュネ−ヴのホテルを出てアムステルダムへ向かった。正直に云って、その時まだ、僕は自分がどんな仕事をするのかよく分かっていなかった。仕事の内容を書いた説明書は何度も読んだし、一週間の研修も僕としてはかなりまじめに受けた。それでも、ジュネ−ヴの空港へ向かう僕の頭にあったのは、新しい仕事に対する不安や希望ではなく、熱い太陽、青い空、果てしない砂漠、終わらない戦争、底無しの貧困、等々、僕の頭の中で抽象化された「第三世界」、そこへ飛び込むという興奮だった。それは、世界を外側から眺めているだけという、僕にしつこく付きまとって離れない現実遊離感、それからひょっとしたら、ようやく解放されるかもしれないという期待が惹起していたものだ。

  アムステルダムの空港で、もう使わないだろうと思って、残っていたスイス・フ
ラン を数枚のCDを買って使い果たした。その時CDに費やしたお金がパキスタン
の一人当り国民総生産をはるかに上回っていることに、僕は気が付いていなかった。

  アムステルダムからKLMに乗ってカラチに向かった。日本を出て四度めのフライトだ。「あと二回飛行機を乗り継いだら、クエッタだ、これで当分飛行機とも縁がなくなるなあ、今度日本に帰るまでは」などと、飛行機の窓から雲を見て日本を思い出していた。約1年後の帰国時の日本を早くも想像して。その後、帰国前に24回も飛行機に乗ることになろうなどと想像できるわけもなかった。

  パキスタンという現実、あの恋焦れた現実に激突して、今日でちょうど 310日目だ。そのうち公休日が94日で、 216日働いたことになる。出張が9回あり、総出張日数は63日だ。僕の発信したテレックスは 116本、発信した通信文は 293本。それにウィークリー・リポート、マンスリー・リポート そして帰国前に書いていけとしつこく念を押されているアニュアル・リポート 。 インタビュー・リポートは約 100本。常に何か書き続けていたような気がする。しかし、帰国を前に残ったレポ−トを仕上げるメドはまったく立っていない。

  クルド難民の UNHCR襲撃、デモ、ハンガ−ストライキ、示威自殺、傷害事件、ひっきりなしに出される夜間外出禁止令(一度も守ったことないけど)、毎夜繰り返される部族間の銃撃戦、ムジャヒディンによるUNの車のハイジャック、麻薬、売春、強姦、強盗、私刑、暗殺。ここにはすべての悪がある。法と秩序がない。難民が関わるかぎり、法と秩序に関わる問題はすべて僕の仕事だ。刑務所、警察、裁判所、FBI、CIA、政府、これらと事務所の間を僕は絶えず往復する。難民キャンプにはなんと一回しか行ったことがないのだ。それも殺人未遂と殺人脅迫の調査。

  僕は原理的に不可能な仕事をしている、何度そう思って途方にくれたことか。僕の武器は国際法だけである。難民の国際的保護というのは、原理的には国家法と国際法の衝突である。簡単に言えば、国際的保護とは、「しばし国家法の適用を免除して、国際法の顔を立てて頂きたい」ということだ。しかし、裁判官が国際法にほとんどまったく無知なことに僕はすぐに気が付いた。バロチスタン州唯一の大学、バロチスタン大学法学部に国際法の教授がいないことにも(どういうわけか、そういうわけか、来年、法学部で講演をしてほしいという依頼が僕のところに舞いこんできた。難民や人権に関する国際法の理解を広めるというのも僕の仕事の一つになっているので、引き受けざるをえないけれど、こういうのは苦手じゃ)。そもそも政府、警察は有力部族に牛耳られて、法はまったく機能していない。正面衝突では勝目がない。

  今、僕は国連パスポ−トも何も使わず、ビザもなしで国境を越えることができる。どこで不法入国イラン人バハイ教徒が逮捕されてもすぐに情報が入る。これらは、公式の手続きによるものでも、国連の権限によるものでもなんでもない。 UNHCRの誰も知らない。まったく、僕と当該権力者との個人的関係あるいは友人関係によるものだ。つまり、非公式。ここでは、個人的関係を築かずには、まったく何も進まない。つまり、仕事にならないのだ。正面衝突では仕事にならない。もちろん、僕は賄賂を使うわけにはいかない。いくらまどろっこしくても国境を越える時は公式の手続きに従う。それでも、裏のネットワ−クに入りこまずに国際法を大上段に振りかざしても、まったくムダなことにかわりはない。カ−ル(スウェ−デン人)はイスラマバ−ドで、カム−ズ(マラウィ人)はペシャワルで、それぞれの個人的ネットワ−クをちゃくちゃくと築きあげて、悪戦苦闘している。法務官に必要なのは、ひょっとしたら、法律をこねます能力よりも、かつて信頼というものが法以前にあったのだということを実感させる能力かもしれない。法の究極の根源は神でも、物理的強制力でもない。それは、「それが法だから従う」という、一般的信念だ。法の根源は何かという問いは必ず無限後退を続ける。それは、例えば信頼という概念を導入して「論理的説明」を避けないと、理解しにくい一つの社会現象だ。今も、法哲学者は無限後退を続けているのだろうか。

  ヨ−ッロッパを騒がしているイラン、イラクのほとんど全てのテロリスト集団に
顔見知りが出来てしまったのも、そんな仕事のおかげだ。テロリスト、国家雇用のスパイ、二重スパイなどが、疲れ果てて、あるいはある使命を帯びて国連を利用するために、僕に助けを求めて、あるいは求めるふりをして、やってくる。難しい応用問題の連続。何度も条約集、ガイド、ハンドブック、ロ−レビュ−などを引っ繰り返すが、どこにも答えは書いていない。一度結論を出しては、また迷う。しかし、学問的研究ではないから、必ず数時間後には結論は出さなければならない。未決定のケ−スが溜っては、常に頭のどこかで焦っている。そして、のたうちまわり、もがきたおした後に出した結論に、やがて本部(イスラマバ−ド)からテレックスが帰ってくる。"We fully agree ...." (完全に同意する)の文字を見て、僕は生き返る。良かった・・・ハ−ッ。
 
  高くて青い第三世界の空にレゲエの大音響が抜けていく。ああ、レゲエはいいなあ。自然に身体が揺れる。隣のカ−ルもその隣のカム−ズもいっしょに揺れるので、白いプレリュ−ドは信号で止まる度にユッサユッサ揺れている。イスラマバ−ドはすべての道が緑に囲まれていて、すがすがしい。大音響のレゲエに負けないように、みんな大声でわいわいがやがや、ユサユサ揺れながらしゃべって気分はディスコだ。助手席にはわれらの大親分(リ−ガル・セクションのヘッド)のブレ−ズ(ギニア人)が座って、やはり揺れている。「見ろ、我々は、アフリカ人にヨ−ロッパ人にアジア人だ。実によく国際社会を代表している。ハッハッハ」などと機嫌が良い。彼は、もともとダンサ−志望で、パリやジュネ−ヴのディスコでDJをしていた。しかし、ある日突然、息子はジュネ−ヴの大学院で博士号取得に専念していると信じていた、故国のお父さんがひょっこりディスコに現れ、一ヵ月以内にまともな職につけと厳命され、結局、ちゃんと一ヵ月以内に国際公務員になったそうだ。ブレ−ズの家には、今もプロが使うミキサ−やタ−ンテ−ブルに数千枚のレコ−ドがあり、彼がパ−ティ−をやると2〜300人が集まる。もちろんレゲエの爆発音を聞きながらプレリュ−ドで毎日通勤するのはブレ−ズだ。彼からはたくさん学んだ。法律のことも、マネイジメントのことも。彼はいつもクエッタで一人奮闘する僕を励ましてくれた。セクション間対立の中で喘ぐ僕を常にサポ−トしてくれた。誰よりも厳しいけど、誰よりも頼りになる上司だった。僕がブレ−ズを誘わずにNGOの女の子とかってに食事に行ったことが分かるといつもふくれた。いつもいっしょに遊びたがった。カ−ルもカム−ズも僕も、ブレ−ズに UNHCRのlawyerとして徹底的に鍛えられた仲間だ。だから、一番気の許せる仲間に親分だけで、自然にみんな陽気になって踊ってしまう。ギャオ−、ガッハガッハ、バンゴバンゴ、ユッサユッサ、レゲエ、レゲエ・・・・・・・・

  「アッ、どうして小さくするんだよ!」ドライバ−が勝手にカ−ステのボリュ−
ムをおとした。なんてこった。みんな声をそろえて抗議する。
  「エッ、どういうことだ、説明していただきたい!」
  「あの、もう着きましたので・・・。」

  そうか、もう着いたの。せっかくのってたのになあ。ここはパキスタン外務省。さあ、難民条約加盟の交渉だ。頑張ろうぜ、みんな!・・・・「なかなかいいビルだな」、「う〜ん伝統的な装飾がいい」、「日本の外務省より、ずっといい」、「ほんとか!金持ちのくせに」、「アホ、貧乏な時に建てたんだよ」、「ところで誰に会うの」、「法律顧問だって」、「あっ名刺忘れた」、「あっオレも」、「いらないよ、下っ端は」、「ところで誰がノ−トとる?」、「オレ、ペン忘れた」、「オレ英語苦手だからな」、「しょうもない言い訳するなよ」、「これもレポ−トいるのか?」、「当然でしょ、国連だぜ」、「文書洪水!」、「あっ着いたみたい」、「違うよ、これは待合室だ」、「待つの?」、「そうみたい」、「いいか、ここは高等弁務官の緒方さんが待たされた部屋だ」、「へ〜え、どのイス座った?」、「ここだ」、「エッ、どこどこ?」、「ちょっと、座ってみるか」、「条約集忘れた、誰か持ってる?」、「心配すんな、ブレ−ズがみんな覚えてる、ハッハッハ」、ガヤガヤ、ワイワイくだらない会話が一時の解放感を与えてくれる。
 
  この街にはどこにも救いがない。この国にはどこにも救いがない。ほとんどのパキスタン人にとって(アフガニスタン人、イラン人、イラク人も含めたいけど、自分が住んでるわけでないので除外)、世界は救いのないところなのだ。人類に救いはない。卑しい、邪悪なメンタリティ、ウソ、不信、疑い、猜疑、嫉みが蔓延する。この地域の人々によって、世界とはそういうところなのだ。そういう世界観を持った人間集団の中に、例えば、信頼などという現象が生まれる可能性はあるのだろうか。あるとしたら、どのようにして?これはとても古くて今も法哲学者の頭を悩ます、法の生成の問題と同義である。とても、格闘しがいのある問題であることには違いない。しかし、今の僕は、この問題の解決にふける楽しみよりも、人間が不信の充満した集団、救いがないと信じられている集団の中に住むことによって、いかに劣等化できるかということに戦慄してしまう。世の中には、確実に劣等な人間が存在するというのは、人類の中には不信と絶望が世界観を形成しているような社会が確実に存在するのだと云っているのに等しい。

  発展途上国(developing countries)という呼び名は偽善的だ。これらの国はいかなる発展の途上にもないのだから。どこにも向かっていない。停滞しているだけだ。だから我々は、第三世界(third world )という言葉を使い続ける。第一、第二が消滅したにも関わらず。

  僕の発見。厳しい気候には耐えられる、物不足にも耐えられる、忙しさにも耐えられる、しかし邪悪な精神には耐えられない自分。

  僕が一番ひどい状態だった時、何人もの西欧人がアドヴァイスをかって出てくれた。彼等は第三世界で生活するためのカウンセリングを母国を出る時に予め受けて来ている。彼等には植民地経営という長い経験と知識の蓄積があるのだ。彼等は自分たちの精神に何が起こり、どう対処すべきかということをよく知っているのだ。その知識は体系化され今も受け継がれている。今もやはり世界は西欧に経営されているのだ。彼等はそう自負している。そして彼らには、その知恵を持っているという点で、その資格がある。日本にはそういう経験(経営というにはあまりにおそまつな例はあるが)も知識の蓄積もない。だから、今の日本には世界を経営する能力はまったくない。

  第三世界に対するのと同じように、国際機関というものに対しても、今、僕はほとんど底無しの絶望を感じる。しかも、「この機関に救いはない」と絶望すると−−−実際、そのように絶望しているのか悟っているのか諦観しているスタッフがすでに多数派のように思われる−−−我々は限りなく劣等化できるのである。恐ろしい話だけど、現実に近ずきつつある、あるいはもう始まっている話であるように思えてしかたない。いろんな国連機関の友人達の実感を一言でまとめると、国連はどの機関も、機能的にも労働倫理的にも、組織としては、もうムチャクチャだ、ということになる。それでも、なんとか国連機関が動いているのは、組織として機能しているというより、少数の個人の孤軍奮闘によると思える。絶望してあるいは諦観して、国連の寄生虫になって人生を送るのは、とても楽でメリットの大きい生き方だ。そういう生き方が許される構造である限り、国連はどんどん第三世界化するのだろう。つまり、絶望が無責任と邪悪な精神を産み、無責任と邪悪な精神が絶望を醸成し、それがまた・・・という悪魔的悪循環の支配する世界。
 
  二つの第三世界。世界の内側で僕が見たものとは結局そういうことだったのか。絶望と無責任と邪悪が限りなくフィ−ドバックしあいながら増大し、人類が劣等化していく世界。世界とはそういうところだったのだろうか。

  昨日、あるイラク人に対する裁判の後、裁判官が僕を呼んだ。僕は緊張した。この裁判はFBIもからみ、かなりややこしく、僕の干渉のおかげで長引き、警察ももちろんFBIも僕の干渉にかなりイライラしてきているのを感じていたからだ。もう
関わるな、とでもいうのだろうか。

  「グリ−ンティ−がいいか、ブラックティ−がいいか」
  「グリ−ンティ−をお願いします」

  なんと彼は法廷で僕と僕のペルシャ語通訳のモハメッド・アリと刑事の三人ににお茶をすすめて世間話を始めた。静かに静かに。

  法律上の手続きもなんにもなしに権力者が勝手に囚人を釈放してしまう、まったく裁判なしで何十年も拘留されている人がいる、警察はまったく無力だ、部族支配構造には誰も手がつけられない、対空砲まで備えた麻薬密輸業者にいったい誰が手をつける、などなど、裁判官はまったく表情を変えずに話し続けた。そして、彼自身かつて政治犯として投獄されていたことも。

  「週末、私は意見書を書く。そのコピ−を君にあげよう。私の意見書は Deputy
Commissionerの所に送られる。君はそこにコンタクトをとるんだ。そうすれば、遠くないうちにあのイラク人は釈放されるだろう。君が何もしなければ、私の意見書はDCの机の上で眠り続けるだけだ。君の手紙をくれ。コピ−を君に送ることを忘れないように」

  刑事が僕に向かってニヤッと笑って云った。
  「You have done a great job for that guy ! 分かるか?」
  「もちろん、サンキュ−! 裁判官、有難うございます」
 
  裁判所の外はとてもいい天気だった。なにもかも明るく見えた。
  「モハメッド・アリ、勝ったね! 中華料理食ってから事務所に帰ろうか。おご
ってやるよ」
  「ああ、おお!」
 
  もちろん、僕は事務所に帰ってすぐに裁判官に手紙を送った。難民と人権に関する条約集も同封して。そして、忘れないうちに裁判官の話に出てきた外国人拘留者の話などを記録した。ひょっとしたら、世間話のふりをして意図的に情報を流したのかもしれない。日本から帰ったら、まず40年以上も投獄されたままだというインド人に当ってみよう。それから14年間投獄されているバングラ・デシュ人。それから・・・。

  ともかく、当分の間は、僕の第三世界にも彼(裁判官)の第三世界にもまだ救いがある、ことにしておこう。