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−−−−−−これは厚生省礼賛の書だ!−−−−−−
『お役所の掟−ぶっとび「霞が関」事情』宮本政於、講談社、1500円。
「sticking outした方がいいと思うか、それともやっぱりしない方がいいか」と
、ある日、ジョンが僕の部屋にきて神妙な顔をして聞いた。高等弁務官の緒方貞子さんがもうすぐパキスタンにやってくる。クエッタ事務所にも来て、30分ほどスタッフと会う時間があるということなので、その時にどういう態度でどういう話題をぶつけるか今から考えていたのだ。さすが、アメリカ人。売込上手。しかし、相手が日本人なので、日本人の僕に戦略の相談に来たのだ。現代のアメリカ人は、アメリカと同じ戦略が日本人にそのまま通じないということぐらいはよく知っている。
「Sricking out ? What's that ?」不幸にも、僕はこの熟語を「試験に出る英熟
語」から見落としたまま受験を通過してしまったらしい。
「Sticking out 知らないのか。釘がにゅっと出たりすることだよ」
「はあ?」
「日本の諺だ。日本人のガ−ルフレンドが教えてくれたんだ。ほら、日本では、釘がにゅっと出るとどうなるんだ?」
「釘?・・・・・ああ、釘じゃない、たぶん、あれは・・・。英語でなんと言うか知らないけど、要するに打たれるんだ。それのことか?」
「そう!You're gonna be hanmmered down !」
「な−るほど、分かった。sticking out しろよ、ジョン。緒方さんはそんな人じゃないと思うよ。日本の官僚じゃあるまいし。したいようにしろ。言いたいこと言え」
「ほんとか」
「ああ。しかし、おまえの印象がどうなるかは、内容しだいだよ」
「アッハッハ。分かってるよ」
「まぬけなこと言うな。あの人は賢いぞ」
「おまえの知ったことか、ハッハッハ」
「で、何、言うつもりだ、ウン?オラオラ、言ってみそ。ウン?」
もう分かったと思うけど、ジョンは「出る杭は打たれる」のことを言っていたの
だ。ジョンの5年前の日本人の元彼女が四苦八苦して説明したんだろう。余談だけど、生粋のニュ−ヨ−カ−のジョンと、この日本人の彼女は結婚する約束をしていたけど、ジョンがパキスタン赴任と決まった瞬間、彼女の気は変わったそうだ。彼女はカリフォルニア駐在予定の日本人と結婚してしまった。5年経った今もジョンは独身、41歳。トンカツが食べたいと喚き散らし、陽気で仕事にも遊びにも真剣に燃えるクエッタ唯一の知日派。
ところで、こんな会話をした数日後、『お役所の掟』が日本から届き、僕は、嘆
いたり、笑い転げたり、立腹したりしながら、一気に読み終え、ジョンの杞憂を思い出したのだ。
著者の厚生省のお役人である宮本さんにとって、ジョンの杞憂は現実である。日本の官僚社会では「出る杭」は、見事に打たれまくってる。宮本さんは、もう、血まみれじゃないかと思うくらい、打たれて打たれて打たれまくってる。「出すぎた杭は打たれない」なんて言って頑張っているけど、厚生省の方はどうやら「出すぎた杭は抜いてしまえ」という方針のようである。
宮本さんは34歳でアイヴィーリーグの一つ、コーネル大学の医学部の助教授になり、ニューヨーク大学の助教授を経て、1986年に38歳で厚生省に課長補佐で入省、「出る杭」になった。
カタカナの経歴があれば、日本社会では、もう「出る杭」である。宮本さんのよ
うにすごいカタカナになるともう完全に「出すぎてしまう」。宮本さんほどではない
けど、僕の履歴書にもカタカナというstigma(汚点)があるし、普通のことを普通に
言うという、まともな精神をまだ維持しているおかげで、似たような経験があり、「
出る杭」の気持ちはよく分かる。
宮本さんは、「○○さん、あなたの意見には賛同できません。なぜなら、△△の理由で××の部分の分析が適当でなく、そのため、あなたの最終結論の信憑性に疑問が生じるからです」と言って、「君は僕にけんかを売っているのか」と言い返される。ああ〜〜、分かるなあ、それ。すぐに噛みついてくるのだ、日本のクソおやじは。こっちは親切に精一杯誤解のないように明確に自分の意見を言ってるのに!
これは、日本の役人と国際公務員の、とて〜〜〜も大きな違いだ。こっぱ役人といえども、国際公務員の間では、宮本さんのように、身も蓋もないくらい明確に理路整然としかも興奮せずに自分の意見を表明しなければ、「おしん」と見做される。言われた方は、反論にせよ同意にせよ、しっかりと相手の意見の筋をとらえたことを示せないようなことを言っていては、「ベロ出しチョンマ」と呼ばれる。ましてや「喧嘩を売っているのか」なんて言えば、もうその瞬間からその人は「フランソワ・フィッツジェラルド・パッパベルディ三世」という烙印を押されてしまうだろう。
宮本さんは「多くの国会議員には法律を作る能力がない」という厚生省幹部の声を書いたりして、厚生省の局長や人事担当課長や直属の上司から、国会のくだりだけは削除しろとやんややんや言われるのだけど、これは読者としてはまったく妙な話に思える。というのは、国会に関してはこの本の中にはなんら目新しいことは書かれていないからだ。国会議員に法律を作る能力があると思っている日本人がどこかにいるのか?僕は厚生省の幹部がそんなことを信じるようなノ−テンキな輩でないことを、この本で知ってほっとしたぐらいだ。特定の議員先生を批判したくだりがあるわけではないし、厚生省は何をあわてているんだ。厚生省にも健全な知性が全滅していないことを宮本さんが示してくれたことを感謝してもよいくらいなのに。
宮本さんは、「本音と建前を上手に使いこなし、葛藤がまったく起らないことが
「大人」として認知される」という。精神分析学的説明によるとそういうことなので
すね。僕は、日本の「大人になる」という現象をずっと嫌悪し拒んできたので、さす
が厚生省!立派なお医者さんを雇っておられると手を叩きました。
国際機関内に、日本の「大人」が現れたりしたら、これはちょっとおもしろい事
件になるかもしれない。というのは、こういう人は論理的思考力に欠陥のある人格破綻者と見做されるかねないからだ。
それに比べて、僕は日本にいた頃、それほど冷酷ではなく、日本の「大人になる」という現象は、「倫理的に節操をなくす」ということぐらいにしか思っていなかった。「大人なんか嫌いだ!」という10代の頃のあの気持ち思い出して欲しい。あれだ。日本ではやっと筋道たてて考えるという能力を子供が身に付け始めた瞬間、「大人とはそういうものではない」という現実を突き付けられる。鋭敏な子供であれば、この二律背反の谷間に落ち込み、もがき苦しみ学業どころではなくなる。この葛藤を経験しないくらい十分に鈍感な子供だけが学業に専念できる。経験的にこれは納得できることであると思う。不良あるいは落ちこぼれという子供達にはどこか敏感すぎるところがあった。エリ−トと呼ばれる人達には共通して極めて鈍感なところがある。敏感すぎもしない、鈍感すぎもしない、日本の多くの普通の子供達は、ほどほどの葛藤の後、論理的思考能力の発達を完全に阻害され、「本音と建前」の訳の分からなさに目をつぶる醜い狡猾さを身につけて「大人」になっていく。かつて葛藤ということがあったということを忘れた時点で、この「大人」は完成する。後でまた考えるべく、この葛藤を引きずりつつ、今しばらく与えられる教材の消化でもしておこう、なんて考えられる小・中学生は全体の1%以下であろうと思う。
おもしろいことに、日本の伝統的「大人」と現代日本の若い女性に見られる「オサセ症候群」とは非常によく似たところがある。「大人」も「オサセ」も本音と建前の分裂になんら葛藤を起こさず、倫理的な節操、論理的な一貫性は微塵もないが、その事実を一切顧慮しないという点でまったく同質である。お立ち台パンツ丸出し黒人大好き踊りまくりオサセねえちゃんが、なんと日本の伝統の正統な継承者であったのだ!でええ〜いっ。
さて、国際機関の役人事情と比較して、宮本さんの描く日本のお役人事情で一点だけ羨ましいところがある。「トップが責任を取り、部下は責任を取らなくともすむ、という責任体系は、必然的に組織に減点主義を導入することになる。だれも上司から睨まれたくない。だから、部下は必然的にまちがいをしないように細心の注意を払うようになる」という点だ。宮本さんは、これが日本が高品質のものを作り出せる秘訣の一つかもしれないと考えている。なるほど、そうかもしれない。羨ましい。
今、僕が働いている職場の原則は「間違いをしたら、すぐに他人を責めろ」だ。
部下の責任をトップが取るなんて美談はあり得ない。逆に部下に責任を取らせようなんて思っても、部下は決して自分の失敗を認めないだろう。そうこうするうちに、失敗も間違いも不正もうやむやにどこかへ消えてしまうのだ。こうして、組織のあらゆる欠陥は改善されずに堆積していく。これが、国連が人類史上最大の浪費を記録し続ける原因であると思われる。
日本の部下が細心の注意を払うようになるのは、上司が恐いとか、出世にひびくという理由もあるだろうけど、個人の心理のレベルでは、上司が満足できないような仕事をしてしまうことは「恥」だという意識が強いからではないだろうか。この「恥」という概念が日本社会では「責任」の代替物として働いているのではないだろうか。
僕の職場は「恥知らず」の集団である。しかも、責任の追求は常に曖昧になってしまう。この原因の一つは、私企業じゃないから、結局何があっても潰れることはなく、自分の身に何の関係もないから追求する意欲が途切れてしまうということ、もう一つは、誰も敵を作りたくないということである。これは、上下関係が逆になる可能性がいつもあり、いつ誰が自分の人事決定権に影響を及ぼす地位に来るか分からないからである。
こうして日本とは違う型の無責任体制が作られてしまったのだけど、ここには、日本型無責任体制を補完する「恥」の概念もないために、組織の効率という点では、もう目を覆いたくなるほど悲惨なことになっているのだ。
ところで、宮本さんはアメリカにいた時、スタイリスト兼ファッションコンサル
タントのアルバイトをしていたことがあるぐらいファッションに興味のある人なのだ
けど、このファッションは厚生省幹部によると「つまらない自己主張」なのだそうで
、「みんなと同じような格好」をするようにアドバイスしてくれるそうだ。ああ、これも羨ましい。僕の事務所の所長は、突然、政府交渉だなんて呼び出し、服装のアドバイスを日頃も交渉前日もしてくれないから、僕はアロハシャツで州政府との交渉に出かけるはめになったことがある。僕もみんなと同じような格好したかったなあ。
宮本さんはすったもんだのあげく、やっと2週間の休暇をとってイタリア・フラ
ンス旅行に出かけるのだけど、このすったもんだは、まるで高校生のずる休み騒動である。悪いけど、笑ったぞ、オレは。さてと、僕は年末から6週間の休暇とるもんね。
宮本さんは、あとがきで、この本が内部告発の書ととられかねないことを心配しているけど、そんな大袈裟で陰湿なものではないということは読者にはすぐ分かると思う。
厚生省がこれは内部告発だなんていきり立って、宮本さんが辞職するような羽目に至ったら、厚生省こそ、もの笑いの種になるだろう。
この本には前近代・旧日本軍的体質の厚生省もでてくるが、同時にいじめられている宮本さんを救ってくれる優しい先輩やこっそり宮本さんを支持する気弱な同僚達も出てくる。何より、オシャレで知的でこんなに垢抜けた役人が厚生省にいるという事実はうれしいことだ。厚生省は、宮本さんを雇った、その見識を誇ってよいと思う。これからの日本は間違いなく宮本さんのような人を必要とするのだから。僕はこの本を厚生省糾弾の書としてではなく、厚生省礼賛の書として読むことを薦める。
<参考>
国連の不効率については、『アエラ』93.9.7、No.37の14〜17ペ−ジ、「国連の乱脈経理を撃つ」で一部、知ることができる。紙が余ったので数例を転載する。
1、1991年、インド人ミ−ラム・メラニ−は「国連・自然災害を減らす10年」という
プログラムを統括することになったが、わずか1年で全予算(1億6千万円)の半分を、給与とスタッフの旅費で使ってしまった。彼は「ミスタ−災害」と呼ばれ、「世界気象機関」に左遷され、やがて「自宅待機」を命じられ、仕事を離れたが、引き続き年俸1600万円は支給され、ジュネ−ヴの高級アパ−トで優雅に暮らす。
2、メラニ−同様、実質的に何も仕事をしていないが、給与全額を受け取っている職員が少なくとも39人いる。彼らに年間約3億2千万円支払われている。
3、ある国連の元職員によると、過去2年間だけで、約 860億円がムダ遣いされた。
4、1989年、難民高等弁務官(UNHCR )のジャン・ピエ−ル・オックは、約4800万円を遊興費として使い込み、ファーストクラスで旅行したことを非難され、突如辞任した。彼の独善で、組織全体で約40億円の赤字を記録したが、職を去ってからも、オックはなんの訴追も受けず、推定1600万円の年金を支給されている。
5、UNHCR の代表としてウガンダとジブチに滞在したザイ−ル人のシンガ・ベラ・ルキカは、91年、公金横領の疑いで辞任を余儀なくされた。4000万円相当の食料、2560万円分の穀物、4800万円以上の車が消えたのだ。
6、UNHCR のタンザニア人ロマニ・ウラサは友人と組んで、約3億2千万円をかすめ取った。さらに7200万円の使途不明金も出した。彼は辞任したが、年金は支給されている。
7、FAOは、世界の飢餓に終止符を打つため、年間予算約1400億円の3分の1をロ−マにある6階建て大理石のビルで使う。
8、ユネスコは年間予算の8割りをパリの本部で使う。
9、UNCTADは、その目的である「開発途上国の経済協力を促進する」費用の10倍を、事務費と給与で消費する。
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