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中学校に入学して最初の、「図画工作改め美術」の授業で何を教わったか、僕はその時の衝撃と共によく覚えている。記憶にきっちり張りついて忘れられない授業というのがいくつかこの世には存在しているけれど、そのうちの一つが、「美術」という科目名では人生最初の、この授業である。
いろんな色を混ぜたら、だんだん汚くなっていく、そしていつか黒くなってしま
う、という訓示から、僕の人生最初の美術教師は始めた。そんなこと教えてもらわなくても、たいていの小学生同様、僕も経験的に知っていた。しかし、その教師は、平家のように傲りたかぶる新中学生達の心を見透かし、「光は違う!」と云った。「何言うとんねん、このおっさん」と計3名くらいの新中学1年生が呟いたと思う。しかし、教師はすかさず、そして、あっさりと衝撃の一言を賜った。いろんな色の光を混ぜていくと、どんどん透明に近づき、やがて透明になる、と。な、な、な、なんだと!そんなことが・・・と動転する僕にいささかの余裕も与えず、その美術教諭はオーバーヘッドプロジェクターで、三色の光を掛合わせ、透明の光を作ってしまった。「なんてことだ!僕の今までの苦労はどうなる?」なんてことを考えたかどうか覚えていないけど、僕はその透明の光が出来た情景をはっきり覚えている。
それに続く僕の疑問、「絵の具で、絵の具でそれできないのか?!えっ!」という内面の叫びも、その先生は聞き取ったかのように、インショウハのテンビョウガという音を発し始めた。絵の具でこの光の混合と同じ性質を導きだそうとした努力がテンビョウガであると。色は直接混ぜない、混ざったように見せかけて、光を失わないのだと。
そして、とうとう最後に、その先生は、息も絶え絶え瀕死の情緒的重傷を負う新中学1年生に見せつけてしまったのだ。印象派の点描画を!
「おお!印象派の絵は光を放っている!・・・・・・・・・」
この圧倒的な1時間は、僕の学問史上(そんなものがあるとして)、壬申の乱ぐらいの閃光を今だに放ち続ける事件である。
枕詞が長くなり過ぎた。僕は、クエッタの光を見た時、突然この光の混合を思い出したのだ。クエッタの太陽光線はきつい。シュワッと全てのものが色を失うくらい強烈なのだ。すべてが白色化するくらい、色を失うくらい、透明になるくらい、強い。
ああ、光の混合だ、と僕は思った。科学的には僕の目が対応できていないだけの話かもしれない。しかし、そんなことはどうでもいいのである。ともかく、クエッタの太陽光線は、僕に僕の壬申の乱を蘇らせたのだ。
ところで、素人もしくは異邦人は、サングラスなしでクエッタを歩き回るのは、
不可能である。なにもかも真っ白けになって前が見えなくなるからである。しかし、クエッタは海抜1700mの高地にある避暑地でもある。湿度が極度に低く、汗をかくことがほとんどなく、とても快適である。陽なたでは、40度や50度を越えることも普通だけど、太陽光線が痛い!と感じても、熱い!と感じることはまれである。そんな太陽光線のせいで、車のハンドルやシ−トは熱くなりすぎて、水をぶっかけてから乗ることもある。
というわけで、日中でも日陰はとても涼しい。そして、明け方や、日没後は涼しいというより、寒いと思うことがよくある。事務所でも、家でも、僕はエアコンをほ
とんど使わない。もちろん、扇風機も団扇も扇子も下敷きも使用せず。
こういう快適な気候を求めて、夏が近づくと熱い地域から、ノマド(流浪の民)
がいっぱいクエッタにやってくる。彼らはもう何千年も同じように季節ごとに快適な
地を求めてさまようという生活を続けている。学校にも行かないし、市民税も払わないし、投票もしないし、婚姻届けも出さないし、回覧板もないし、時候の挨拶もしない(かどうかは知らない)。ともかく、国籍という概念が当てはまらない。近代国家制度とはまったく無縁の所で生活しているのだ。アフガニスタンとかイランとかパキスタンとかそういう、人間が後から勝手に地面につけた小賢しい名前は彼らにはまったく関係ないのだ。ひょうひょうと国境を越えて移動する。おもしろいことに、このノマド達に関しては、この辺の国家は何にも言わないのだ。良く言えば、彼らの権利を認めている(寛容)、悪く言えば、ほったらかし(無関心)である。たぶん、政府も考えるのが面倒臭いのではないだろうか。
僕の家の近くにも空き地がいっぱいあって、ある日、道に迷って急遽「買物」の予定を「探険」に変更してぶらぶらドライブしていたら、空き地の一つにテントの大群を見つけた。その数は尋常ではない。地平線まで埋まるかと思われるほどの、ボロテントの大群である。「な、な、なんだ、これは!難民か?」と僕は一瞬厖大な量の仕事が頭に浮かび、気絶しそうになりながら、パキスタン人にきいた。「違う、違う、ノマド、ノマド」というだけで、全然無関心。こんなにたくさんの人間が突如どこからともなく現れて、びっくりしないのか、おもしろくないのか、えっえっ?と思ったけど、きかなくても答えは分かっていたので黙っていた。
ウ−ム、しかし、おもしろいではないか。クエッタの街の日常生活とまったく違
った形態の生活が同じ空間に重なって存在するのである。一方は中世、他方は古代である。しかも、お互いまったく無関心で、干渉もせず、イヤともイイとも言わない。
てなことを考えていたら、やっぱり、我慢がはじけて、僕はパキスタン人に聞き始めた。ノマドは自分たちを何国人だと思ってるのか、何語を話すのか、シャワ−は浴びるのか、お金は持ってるのか、歩いて移動するのかバスに乗るのか、トイレはどうする、何を食べてるのか、土地の賃貸料は払うのか、宗教は何か、不幸か幸せか、・・・・・うん?うん?うん?
明確な回答はなかった。いろんな言葉話すんだろうとか、歩いたりバスに乗ったりするだろうとか、少しくらいお金持ってるんだろうとか、誰も何にも言わないから賃貸料なんて払ってないだろうとか、いろんな宗教だろうとか、推量形を連発した後に、二つだけ断定した。「奴らは鉄の胃を持っている」と「奴らは世界一幸せだ」の二つ。
鉄の胃を持つ世界一幸せな流浪の民・・・?僕はこの一撃で形而上學的危機に陥ってしまった。これはなんだ?隠喩か、おちょくりか、暗示か、提案か、報告か、解釈か、でたらめか、預言か、宣言か、不平か、嗚咽か、雑音か、しゃっくりか、何だ?
パキスタン人は、近代最先進文明社会の果てから降臨してきた僕が、すぐにお腹をこわして熱を出すことを笑う。しかし、当のパキスタン人よりノマドの方が丈夫な胃を持っていることを是認する。パキスタン人は、近未来最先端物質文明社会から舞い降りた僕を羨む。しかし、ノマドが世界一幸せだと断定する。
やはり、これは一つのメタファ−、「お前は世界一の不幸へ先頭を切って走り続けているのだよ、ハッハッハ」ではないか。
なんてことをゴチャゴチャ考えること自体、僕がどっぷりと西洋近代文明につかりながら、鎖国下の孤島で成長した証拠である。たぶん、定住パキスタン人も流浪の民も、何も考えずに「そ−おも−からそ−ゆ−部族」なのだ。
僕は以前、海抜1700mの荒野の僕の家の外で、あんぐり口を開けて、ヴィヴァルディやシ−ラEやサザンの大音響を聞いている少年達を見て、発作的に啓蒙的言辞、「聴け!これが文明開化の音だ!少年よ、カラシニコフを捨てて、蒙を啓け!」などと発したけど、こういうのは、迷妄である、病気である。「近代」という病、「文明」という病、「西洋」という病、全部合わせて「近代日本」という病である。完全に感染している。
今日も、トヨタのランドクル−ザ−に乗ってマドンナを聞きながら出勤する僕に
、並んで手を振るノマドの子供達。僕は急にこの表題の迷妄的言辞を撤回したくなった。
「見るなトヨタ!聞くなマドンナ!啓蒙など不幸になってからでも遅くはない」
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