The Quetta News
09 推論 16 Apr. 1993

 

  僕の今の仕事で最も大事なことの一つに、緻密な推論をする、ということがある。いろんな証言、証拠、資料、法律などを組合せて、法的推論を構成して結論を出す。この結論を出すまでの作業自体が難しくて、しかも大量のケ−スを短時間に処理して次々に説得力のある報告書にまとめて本部に送り続けなければいけないので、知的にも肉体的にも重労働なのだけど、それ以上に負担なのはこの結論に一人一人の人生が、生命が、かかっているということである。リ−ガルセクションのオフィサ−には、この精神的負担に押しつぶされずに緻密な推論を毎日ヘラヘラ笑って正確にこなしていく、健康で強靭な精神力、もしくはまったくの鈍感で無神経な愚鈍さを要求される。しかし、残念なことに、最近こういう点で深く反省すべき出来事が起った。

  パキスタンに来て間もない頃、道端で世間に背を向けてしゃがんでいるパキスタン男がいるのに気が付いた。しゃがんで何をしているのだろう、うつむいてみんなに背を向けて、何か嫌なことでもあったのだろうか、誰かに怒られて見せしめにすねているのだろうか、なんて考え始めると気になってちょっと挨拶しに行ってみたくなったけど、明らかに彼の背中のまるめ方は「一人にしておいてくれ」と言っていたので、邪魔しないことにした。しかし、それから、よく注意してみると、あちこちにしゃがみ男がいるのに気が付き始めた。みんな、もぞもぞしてる。みんなうつむいている。そうか、みんなウンコしてるんだ。なるほどねえ、パキスタンには公衆便所ないもんな、フムフム。
 
  と、迂闊にも納得して1ヵ月も経ったある日、アッ! 水がない!ということに
気が付いた。水がないとパキスタン人はウンコできないではないか。彼らがしていたのはウンコではなかったのだ。まったく迂闊であった。愚鈍さの極致である。彼らは皆、道端ですわってオシッコしていたのだ。

  (1)文化的偏見−男はオシッコを立ってするものだ−及び、(2)事実の見落
とし−水がない−という二重の初歩的ミスによって、恐ろしく誤った結論を出していたのだ。
 
  教訓(1)まだまだ文化的偏見が性根から払拭できていない。
     (2)事実把握がまだまだ甘い。
     (3)パキスタンの男はすわってオシッコする。