The Quetta News
04 絶体絶命的便所 26 Feb. 1993

 

 まだ、イスラマバ−ドにいる頃、ジュネ−ブから送った荷物が空港に着いたとい
うので、税関まで取りに行ったことがある。非能率もここまでくると笑ってしまう。
たった1箱の荷物を受け取るのに寒い、大きな倉庫の中で僕は2時間待たされた。僕は待ってるだけだからいいけど、僕の代理になって手続きをしてくれる人(パキスタン人)はたいへんだった。あっちへ行ったりこっちへ行ったり、走り回って、次から次にまったく無意味と思えるサインを集めるのに四苦八苦していた。そして時々僕の方を振り返ってはもう少しだから、というような合図を送る。気の毒なので、大丈夫、大丈夫と僕は合図を返す。

  そんな合間にも時々そこの税関関係者らしき人が僕に挨拶をしにくる。握手をしてまた、ぶらっとどこかへ消えていく。挨拶はいいから仕事しろよな、まったく。ここにはまったくシステムというものがないのだ。誰もがあっちでぺちゃくちゃ、こっちでぺちゃくちゃと喋ってぶらぶら歩き回るだけで、荷物を引取に誰かが来ると、まったく意外そうな顔をしてどうしてそんなことをオレにいいに来るのだと言わんばかりの顔をする。まったく、それがお前の仕事だろう、と言いたくなる。

  一人で荷物を取りに来た西洋人らしきおじさんは、だんだん不機嫌な顔になり、しまいに破裂しそうなくらい顔を真っ赤にして倉庫の真中で仁王立ちになっていた。完全にわけが分からず、非能率、無責任、デタラメさに怒り心頭に発したというやつだろう。しかし、パキスタン人はその西洋ゆでダコにまったく関心を示していなかった。

 寒いところに座って、倉庫の中で展開されている悲・喜劇をぼんやりと眺めてい
たら、恐ろしいことにお腹が痛くなってきた。これは、もうすっかり慣れてしまった
、申し分のないパキスタン的下痢だ。しかし、もう少し我慢すれば、きっと荷物を引き取ってくれる、そうすれば、事務所まで30分で行けるから大丈夫だ、そう言いきかせて頑張っていた。しかし、ここの下痢はそんなに甘くない。すぐに危険な状態に入ってきた。仕方ない、たぶん無いと思うけど、ちょっと覗いてみようか、と思って僕は立ち上がり、トイレの中を覗いた。やはり無かった、トイレットペ−パ−は。その代わり、壷が一個あった。もう少し我慢したら、きっと帰れると思いなおし、僕はまた元いた場所に戻ってすわった。しかし、ものの数分もすると錐揉み状態に入り始めた。

  −ここはパキスタンなんだ、どうして紙にこだわる、だいたい紙は不潔だ、水の
方がよっぽど衛生的だし、健康にも良いのだ−、

  とわけの分からん理屈をこねて、僕は懸命に自分を説得しようとし始めていた。そして、とうとう一大決心をし、ええい、ままよ、とトイレに入り、しゃがみこんだ。一気に全液体は通過し、一瞬にして終わった。さてと、僕は壷に水を注ぐべく蛇口をひねった。−−−出ない。水が出ない。いかん、どうして最初に確かめなかったんだ、と後悔してももう遅い。そうだ、水洗便所だから、流せば出るようになってるのかもしれない、きっとそうだ、そうに決まっている、と一心不乱に祈りながら、トイレを流すレバ−を引いた。

  −−−カラン

 と乾いた音がした。いかん、このトイレは潰れていたんだ、という恐ろしい事実が明確になってしまった。−どこかにティッシュペ−パ−が入ってるはずだ、パキスタンは紙が無いかもしれないからと思って、たくさんティッシュペ−パ−を持ってきたんだ、きっとどこかのポケットに入ってる−、とブツブツ考えながら全ポケットに手をつっこんだけど、無かった。−こういう時は一度落ち着いて対策を考えればいいのだ、脱出の方法は必ずある−、と言いきかせ、しばらくしゃがんだまま考えてみた。そして、なあ−んだ、簡単じゃないか、ハンカチがある、と僕は喜んだふりをし、一番気に入ってるケンゾ−のハンカチを糞まみれにして、イスラマバ−ド国際空港の税関の便所に葬り、窮地を切り抜けたのであった。