The Quetta News
03 SERENA HOTEL 26 Feb. 1993

 

 「セレナ」という音を僕が発する度に、ジュネ−ブでもイスラマバ−ドでも、人々が一種異様な雰囲気でため息をつき、陶酔したような表情になるのを僕は何度か目撃していた。「すごい。あんなもの見た事がない」「エクセレント」というような自分の発する陳腐な言葉にがっかりし、誰もかれもが自分の感情をうまく説明できない苛立ちを見せていた。要するに言葉が無かったのだ。今はっきりと僕にもそれが分かる。僕は今そのセレナでこれを書いている。何とかして言葉でこのセレナを伝えられないかと考えているけど、不可能だ。まったくそういうことが不可能な空間がこの世には存在している。現代の奇跡と言えばいいのかもしれないけど、どんな大袈裟な修飾語を使っても東スポには勝てない。写真をとってもフライデ−には勝てない。−なんのこっちゃ。

  いったい誰が何のためにこんなものをここに作ったんだろう。ペルシャ文明が確実にそのまま、生きたまま、ここに在る。この空間は精神を持って生きている。数千年前ペルシャの王宮に宿っていた精神が生き続けここに住んでいる。それがどうしても夢の中にいるような気分にさせるのだろう。あり得ないことだけど、数千年前に自分がいると思ってしまうのだ。ほんとに現実に僕はここにいるんだろうか。これは夢じゃなくて、本当なんだろうか。と、水のさらさらと流れる音と誰かがどこかで奏でる幻想的な音楽を聞き、まったく過不足のない給仕を受け、ほの暗い中に金色に輝く照明類と足音を完全に消すペルシャ絨毯の中で、一人で食事をしていると、どうしても納得できずキ−ッとなって一瞬気が狂いそうになった。本当に近代文明からやってきてここで発狂してしまった人がいるんじゃないだろうか。恐い。

  なんか恐いので現代的側面だけ書いて現実に帰ろう。シェラトンとかマリオットとかいわゆる五星インタ−ナショナルホテルをこの海抜1700m のほとんど観光客も来ない、地震の多い荒野に建てるなんてことを考える人がいるだろうか。足算と引算ができる人なら誰もそんなこと考えないだろう。しかし、セレナはごく当然のように成金的けばけばしさを微塵も見せずに、軽薄な近代性も全て備えている。スカッシュ、テニスをして、プ−ルで泳ぐことができる。OA機器はなんでもある。テレコミニュケ−ションも何でもできる。専属のタイピストや、速記者も借りれる。アラビア海の珍味からフランス料理まで食べれる。砂漠に囲まれた山岳地帯で。冗談のつもりで、オニオンス−プをとったら完璧に本物だった。先進国の大都市でもめったにないことだ。そしてまったく期待しなかった地元料理は、あまりにショッキングな美味しさだった。こういう微妙な塩加減をする文明がここにあったとは。まったく感嘆してしまった。東京のあの悲惨に破壊された味文化を思いだして再度呆れた。まあ、こんなことはセレナにとって取るに足りないことばかりなんだろう。壁のどこを探しても継目が無いとか、部屋のどこを見渡しても曲線しか見えないとか、ずっといつもどこかで楽士がすわりこんで幻想的な音を奏でているとか−古代ペルシャの宮殿でやっていたように、恐らく同じ楽器で同じメロディを−、神話の挿し絵で見たのと同じような中庭に同じようにいつも水が流れているとか、そんなことも取るに足りないことなんだ。重要なのは、この空間に存在する物がすべて本物だということだ。レプリカやショ−は一切ない。考えてみれば、僕の住んでいた世界は全て複製だったのではないか。僕から付きまとって離れなかった現実遊離感はそれに符号する。

  もう、いくら頑張っても、セレナを説明することはまったく不可能だということが、よ−く分かったので、これで終わり。