ある日突然、眠らなくなった。
眠らなくとも、昼夜を問わずぜんぜん眠たくなかったので、1日が長く感じる
くらいで通常通りに暮らしていた。
しかし、ひと月半ほどたってから、後頭部の辺りに火花が散った。そんな気が
した。
眠らなくなってから、三度の食事をきちんと取っているのに体重が激減した。
驚くほど日に日に減って、それをわたしは面白がっていたのだが、反面かなり
ヤバーイかも、とも思っていた。
後頭部で起こったスパークと、内心のヤバーイかも知れないとの思いから、医
者をたずねた。
その結果わたしは怒りを爆発させることができず、病気になったのだと言われ
た。
そのように精神科・神経科の医者に診断され薬も処方された。
医者から勧められ臨床心理カウンセラーのところへも通ったが、特に新鮮なア
ドバイスも得られず、医者と同じようなことを言われたに過ぎなかった。
「もっと怒りをぶつけていいんですよ」
わたしにはちっともピンと来ない言葉であった。
わたしは次々とカウンセラーを変え、もっとわたしのところまで響いてくる言
葉をしゃべれる人に出会いたいと願った。
だが心のプロはみな同じことを言い、わたしは自分の怒りをまるで自覚できな
いまま、困惑する以外になすすべがなくなってしまったのである。
なんでわたしが見ず知らずの医者やカウンセラーの前で怒りを爆発させなきゃ
いけないワケ?
という疑問がもくもくと湧き上がったが、彼等はみなわたしに向かって執拗に
「怒れ怒れ」と連発するので、怒れぬわたしは責めたてられているような心持
ちになり、ただ身を固くした。
うるさいな、と思っていた。
医者が処方する薬は、怒りを爆発させてくれるものではなく、心を落ち着かせ
たり、眠れるようにする薬であった。
そんなものを服用しているのだから、わたしはますます落ち着いて怒りを爆発
させられないではないか、と理不尽な気持ちに陥った。
しかし、そんなことで激やせして死んでゆくのも惜しい気がしたので薬は飲む
ことにした。
さらにわたしは素直に怒ろうと努力した。
「みなさんがそれほど怒れとおっしゃるのでしたら、わたしも頑張りたいと思
います」
そんな姿勢で真面目に怒ろうと試みた。
自宅にあったエレクトリック・ギターをコンクリートに叩きつけて、ネックを
折るという破壊行動に出てみたが、これは単に怒っている真似をしているだけ
であったので、全く何の効果もなかった。
しかもネックを折るのに苦労して、わたしはちょっとマヌケであったが、その
ときは深刻で切実にそんな行動をとっていた。
怒るという行為はなかなかどうして難しい。
それから過去に腹が立ったことやムカついた事柄を思い起こしてみたのだが、
どれも本気で怒ってはいなかったような気がしてきた。
みな腑に落ちない程度のことではなかったか?
ただ分かりやすく他人にアピールするためだけに、腹が立ったと言ってみせて
いたのではなかったか。
わたしは、いまだかつて一度も怒ったことなどなかったのではないのか。
そんな思いにとらわれて、ぜんぜんわたしは怒りを爆発できない。
すっかり「怒り」に過敏体質となったわたしは次に怒っている他人に目を向け
た。
怒鳴っている人を見かければ、本当に怒っているのか、あれはただ大声を出し
たいだけなのではないのかと疑問を抱いてしまうのであった。
気が短くイライラしている人に対しては、辛抱が足りないだけではないのかと
勘ぐってしまうのであった。
怒っていると言う知人をつかまえては、本当に怒っているのか?と確認すると、
「うん、まあね」なんて曖昧に返答され、わたしも一緒に曖昧で不明瞭な気持
ちになった。
また直接わたしに怒りをぶつけて来た人が、数日後に会ったときには冷静かつ
穏やかであったので、ホッとする一方で「どうしてなんだろ?」と混乱した。
みんな本当に怒っているのだろうか?
わたしは、どうやって怒ればいいのかが分からない。
ムカッと来た次の瞬間に、何をどうすべきかが分からない。
怒鳴るのもイヤ。殴るのもイヤ。殺すのもイヤ。無視するのもイヤ。
ウジウジしているのはもっとイヤだ。
相変わらず怒りを爆発させられないわたしは、元気を回復しながらも怒りに関
する疑問を抱き納得できぬまま、休火山状態。